正に井笠の全盛期ですね。コッペルや単端がバリバリ現役なのも昭和30年代です。後にホジ3が下津井に移籍したのも軽便のご近所付き合いなんでしょうね(笑)
にぶろくさんこの1962年は既にコッペルや単端は引退していましたが、蒸機、単端、単端くずれ客車などは処分されずに大切に保存されていました。これらを一堂に集めた貴重な博物館の夢は、くじ場の火災でご破算になりましたね。9号機コッケリル社製Bタンクが一時野辺山にいたりして多くの蒸機は散り散りになってしまった感じがします。
こんにちは。ホジ3の話の続きですが、下津井電鉄が茶屋町-児島間の廃線処理に使うつもりで購入したのですが、値切られたから一番調子の悪かったホジ3を売ったと言う話を聞きますが、本当なんでしょうか?でも結局鬮場駅の車庫が火災に遭ったので、難を逃れたというのも皮肉な話ですね。しかしその後井笠バスは破綻してしまうから、仮に鉄道博物館を作っていたとしてもその後はあまり良い事にはならなかったのではないかと言う気もしています。
Unknownさん井笠鉄道が鉄道遺産保存に力を入れる考えを持っていたと推測しますが、確かに井笠バスの破錠からすると廃線後の保存活動でも良いことは無かったのでは? 私もそう思います。井笠鉄道の惚れ惚れする車両は一部の保存車、写真、模型を見て楽しむしかありません。
検査上がりのホジ9は貫禄さえ感じますね。最も美しいバケットカーと言っても良いかと思います。ホジ12などはあの庇が不恰好に見えてしまう事もありますが、それもまた軽便車輌の楽しさなのですね。見ていると、軽便模型の世界に入り込んで行きたくなります。時に率直な疑問なのですが、後から新製された近代的デザインのホジ1〜3が、なぜ旧型車より番号が若いのでしょうか?ただ単に空いている番号を充てただけ、と聞いた事もありましたが、そうするとホジ101などは3桁になっているし、よくわかりません。
esehokuさん鉄ピクによれば旧ジ1~3(2軸の単端)が付随客車ハ15、16に改造されて動力車ジ1~3が欠番となっていたので、新型車ホジを2代目1~3とした、とあります。次の増備車のホジ101、102は何でこんなに離れた番号なのかはよく知りません。
正に井笠の全盛期ですね。
返信削除コッペルや単端がバリバリ現役なのも
昭和30年代です。
後にホジ3が下津井に移籍したのも
軽便のご近所付き合いなんでしょうね(笑)
にぶろくさん
返信削除この1962年は既にコッペルや単端は引退していましたが、
蒸機、単端、単端くずれ客車などは処分されずに大切に保存されていました。
これらを一堂に集めた貴重な博物館の夢は、くじ場の火災でご破算になりましたね。
9号機コッケリル社製Bタンクが一時野辺山にいたりして多くの蒸機は散り散りになってしまった感じがします。
こんにちは。
返信削除ホジ3の話の続きですが、下津井電鉄が茶屋町-児島間の廃線処理に使うつもりで購入したのですが、値切られたから一番調子の悪かったホジ3を売ったと言う話を聞きますが、本当なんでしょうか?
でも結局鬮場駅の車庫が火災に遭ったので、難を逃れたというのも皮肉な話ですね。
しかしその後井笠バスは破綻してしまうから、仮に鉄道博物館を作っていたとしてもその後はあまり良い事にはならなかったのではないかと言う気もしています。
Unknownさん
返信削除井笠鉄道が鉄道遺産保存に力を入れる考えを持っていたと推測しますが、
確かに井笠バスの破錠からすると廃線後の保存活動でも良いことは無かったのでは? 私もそう思います。
井笠鉄道の惚れ惚れする車両は一部の保存車、写真、模型を見て楽しむしかありません。
検査上がりのホジ9は貫禄さえ感じますね。最も美しいバケットカーと言っても良いかと思います。
返信削除ホジ12などはあの庇が不恰好に見えてしまう事もありますが、それもまた軽便車輌の楽しさなのですね。
見ていると、軽便模型の世界に入り込んで行きたくなります。
時に率直な疑問なのですが、後から新製された近代的デザインのホジ1〜3が、なぜ旧型車より番号が若いのでしょうか?
ただ単に空いている番号を充てただけ、と聞いた事もありましたが、そうするとホジ101などは3桁になっているし、よくわかりません。
esehokuさん
返信削除鉄ピクによれば
旧ジ1~3(2軸の単端)が付随客車ハ15、16に改造されて動力車ジ1~3が欠番となっていたので、
新型車ホジを2代目1~3とした、とあります。
次の増備車のホジ101、102は何でこんなに離れた番号なのかはよく知りません。