わくわく感満載の前ふりですね。どんな配線になっていたのか興味津々です。
イワキ鯨川さんありがとうございます。ネットで調べた限りではこの駅の貨物駅は写真すら無かったです。私も本線構内に気を奪われて全く写真1枚しか撮っていませんでした。構内配線図は何か図書に発表されている可能性がありこれから調べるつもりです。のんびり調べているので時間が掛かりそうですが楽しみにしていてください。
2枚目の画像、『楽しい違和感』とでも言えましょうか、駅構内にあるなら当たり前の引込み線が、駅本屋の外、それもわりと真ん前にあるのがなんとも不思議な感じがします。昔はこういうのも結構あったのでしょうか?
駅前広場で荷卸ししてたって事ですかね?
esehokuさん、にぶろくさん1962年に訪問した時にメモした私の不正確な貨物駅構内図によると、駅本屋の手前まで線路と貨物上屋(荷卸場?)が延びていました。駅前というか駅前の馬橋寄りの一角に貨物駅と貨物線2本がありました。これも何か模型の題材みたいです。
昔の駅構内のレイアウトや配線図を調べるなら国立公文書館を訪ねてみてはどうでしょうか?私も大沼電鉄に関する資料として構内図のコピーをそこで入手することが出来ました。鉄道敷設の申請や許認可書類に図面が残されている可能性があります。インターネットで閲覧できるものは限定的なので、直接出向いて何を調べたいか話すと探し方を教えてくれますし、閲覧した資料は必要に応じてコピーをしてもらえます(有料)。ただお目当ての資料に出会えるかどうかは運次第です。
鹿部電鐵さんありがとうございます。出版物の原稿などでどうしても必要の時は国立公文書館を訪ねてみます。今回の件はブログ記事でありそこまで調べる気力はありません。あと昔の航空写真などが参考になるのですが、私はどうも昔の航空写真を検索するのが苦手であきらめています。
連投ですみません。確かに、昔の航空写真という手もありますね。私も九段下の国土地理院まで行き、何年頃の何処其処の場所を見たい旨伝えると、係員の方が出してくれるのでその場で閲覧できましたが、複写がちょっと面倒ですね。その場で複写箇所と倍率は指定できるのですが、写真は後日送られてくる形になります。撮影されたのは毎年ではなく、地区ごとに数年おきなので、私の例(石川県の昭和46年以前…ご見当がついたかと思われますが…w)では昭和41年、38年、26年の物がありました。ただ、26年の物は不鮮明な上、電子データ化された状態であるため、あまりハッキリとは確認できません。katsu様も、もしかしたらとうに事を為されているかとは思いますが、念の為と思い、書きました。
推定の線路図、痺れますね。、地方私鉄には駅前広場の一角に貨物駅ってのは何度か見た気がします。某イワキ交通の某駅も、駅前広場を併用軌道で引き込み線が横切ってましたね。
esehokuさん私は航空写真はネットで検索して見るだけで1960年代だけです。ところが検索方法を覚える気がなくていつも中途半端です。国土地理院へ行って写真か地図を購入すれば完璧にわかるのでしょうね。今回はコメントさんからネットの航空写真画像を提供いただき参考にさせてもらいました。当然ながら線路配置や建物は大雑把に推定するしかなく細部は分かりません、貨車か建物なのか判別つかないところもあります。アップした配線図は仮図でさらに詰めていこうと思っています。
Cedarさん私もこういう駅の外れたところに延びていた線路が大好きです。かっての地方私鉄が貨物を輸送していた時代がいかに魅力的であったかを思い知らされます。ささやかな貨物の輸送が編成や駅周辺の風景に彩を添えていたと思います。まるで専用線のような本格的な貨物輸送になると興味は薄れてしまい、ささやかな貨物の輸送にこそ興味が惹かれます。
高校最後の日に貴兄と各私鉄巡りをこの流山から始まりました。情報が少ない時代でした。私はこの時写真は数枚しかとっておりませんで萬上醤油までの引き込み線に気が付きませんでした。サドルタンクのSLが保存されていると思いこんでいました。駅員に尋ねたところ随分前に無くなったということで車庫裏にある木造のキハには目をくれなかったのを覚えています。この後常総筑波や竜ケ崎を見学に行きました。ノートにはSLが見られなかったことが残念とありました。竜ケ崎線では配線図をノートに記載してあります。流山電鉄貴兄のようにくまなく歩いて配線図を描けなかったこと後悔しています。
青蛙さん私にとって地方私鉄めぐりはこの日がスタートでした。そして青蛙さんと伴に行動スタートした日です。マイカメラで撮った1枚目もこの日の流山でした。1962年3月31日記念すべき日です。あれから58年あの時の流山が写ったネガが今も健在でいろいろ楽しめるのが幸運です。今回の流山駅でも車両周辺をいかに写し込むかの認識がなかったので、後になって建物や施設など分からず大反省、苦労するばかりです。高校生最後の日の1枚をブログに追加しておきました。
流鉄へは時々散歩がてら乗りに行きます。流山駅を出て左側に自販機コーナーのような場所があって、そこがもしかすると貨物ホームの跡だったのかもしれませんね。コンクリートの風化具合が如何にもな気がします。あと万上さんは醤油ではなく味醂で有名です。キッコーマンが買収して流山キッコーマンにしてしまったので、わかりづらくなってしまったのですよね。
レイさんメールも戴きいろいろと情報ありがとうございました。醤油工場の引き込み線は万上味醂を作っている野田醤油(株)で後の流山キッコーマンということですね。社名の遍歴が野田醤油(株)が万上味醂(株)を合併、写真1962年の2年後に野田醤油(株)がキッコーマン醤油(株)に社名変更、さらにキッコーマン醤油(株)からキッコーマン(株)に社名変更。ということで1962年当時の工場名を野田醤油(株)に訂正しておきました。
わくわく感満載の前ふりですね。
返信削除どんな配線になっていたのか
興味津々です。
イワキ鯨川さん
返信削除ありがとうございます。
ネットで調べた限りではこの駅の貨物駅は写真すら無かったです。
私も本線構内に気を奪われて全く写真1枚しか撮っていませんでした。
構内配線図は何か図書に発表されている可能性がありこれから調べるつもりです。
のんびり調べているので時間が掛かりそうですが
楽しみにしていてください。
2枚目の画像、『楽しい違和感』とでも言えましょうか、駅構内にあるなら当たり前の引込み線が、駅本屋の外、それもわりと真ん前にあるのがなんとも不思議な感じがします。
返信削除昔はこういうのも結構あったのでしょうか?
駅前広場で荷卸ししてたって事ですかね?
返信削除esehokuさん、にぶろくさん
返信削除1962年に訪問した時にメモした私の不正確な貨物駅構内図によると、
駅本屋の手前まで線路と貨物上屋(荷卸場?)が延びていました。
駅前というか駅前の馬橋寄りの一角に貨物駅と貨物線2本がありました。
これも何か模型の題材みたいです。
昔の駅構内のレイアウトや配線図を調べるなら国立公文書館を訪ねてみてはどうでしょうか?私も大沼電鉄に関する資料として構内図のコピーをそこで入手することが出来ました。鉄道敷設の申請や許認可書類に図面が残されている可能性があります。インターネットで閲覧できるものは限定的なので、直接出向いて何を調べたいか話すと探し方を教えてくれますし、閲覧した資料は必要に応じてコピーをしてもらえます(有料)。ただお目当ての資料に出会えるかどうかは運次第です。
返信削除鹿部電鐵さん
返信削除ありがとうございます。
出版物の原稿などでどうしても必要の時は国立公文書館を訪ねてみます。
今回の件はブログ記事でありそこまで調べる気力はありません。
あと昔の航空写真などが参考になるのですが、
私はどうも昔の航空写真を検索するのが苦手であきらめています。
連投ですみません。
返信削除確かに、昔の航空写真という手もありますね。
私も九段下の国土地理院まで行き、何年頃の何処其処の場所を見たい旨伝えると、係員の方が出してくれるのでその場で閲覧できましたが、複写がちょっと面倒ですね。その場で複写箇所と倍率は指定できるのですが、写真は後日送られてくる形になります。
撮影されたのは毎年ではなく、地区ごとに数年おきなので、私の例(石川県の昭和46年以前…ご見当がついたかと思われますが…w)では昭和41年、38年、26年の物がありました。
ただ、26年の物は不鮮明な上、電子データ化された状態であるため、あまりハッキリとは確認できません。
katsu様も、もしかしたらとうに事を為されているかとは思いますが、念の為と思い、書きました。
推定の線路図、痺れますね。、地方私鉄には駅前広場の一角に貨物駅ってのは何度か見た気がします。
返信削除某イワキ交通の某駅も、駅前広場を併用軌道で引き込み線が横切ってましたね。
esehokuさん
返信削除私は航空写真はネットで検索して見るだけで1960年代だけです。
ところが検索方法を覚える気がなくていつも中途半端です。
国土地理院へ行って写真か地図を購入すれば完璧にわかるのでしょうね。
今回はコメントさんからネットの航空写真画像を提供いただき参考にさせてもらいました。
当然ながら線路配置や建物は大雑把に推定するしかなく細部は分かりません、
貨車か建物なのか判別つかないところもあります。
アップした配線図は仮図でさらに詰めていこうと思っています。
Cedarさん
返信削除私もこういう駅の外れたところに延びていた線路が大好きです。
かっての地方私鉄が貨物を輸送していた時代がいかに魅力的であったかを思い知らされます。
ささやかな貨物の輸送が編成や駅周辺の風景に彩を添えていたと思います。
まるで専用線のような本格的な貨物輸送になると興味は薄れてしまい、
ささやかな貨物の輸送にこそ興味が惹かれます。
高校最後の日に貴兄と各私鉄巡りをこの流山から始まりました。情報が少ない時代でした。
返信削除私はこの時写真は数枚しかとっておりませんで萬上醤油までの引き込み線に気が付きませんでした。
サドルタンクのSLが保存されていると思いこんでいました。駅員に尋ねたところ随分前に無くなった
ということで車庫裏にある木造のキハには目をくれなかったのを覚えています。この後常総筑波や竜ケ崎を
見学に行きました。ノートにはSLが見られなかったことが残念とありました。竜ケ崎線では配線図をノートに
記載してあります。流山電鉄貴兄のようにくまなく歩いて配線図を描けなかったこと後悔しています。
青蛙さん
返信削除私にとって地方私鉄めぐりはこの日がスタートでした。
そして青蛙さんと伴に行動スタートした日です。
マイカメラで撮った1枚目もこの日の流山でした。
1962年3月31日記念すべき日です。
あれから58年あの時の流山が写ったネガが今も健在でいろいろ楽しめるのが幸運です。
今回の流山駅でも車両周辺をいかに写し込むかの認識がなかったので、
後になって建物や施設など分からず大反省、苦労するばかりです。
高校生最後の日の1枚をブログに追加しておきました。
流鉄へは時々散歩がてら乗りに行きます。
返信削除流山駅を出て左側に自販機コーナーのような場所があって、そこがもしかすると貨物ホームの跡だったのかもしれませんね。
コンクリートの風化具合が如何にもな気がします。
あと万上さんは醤油ではなく味醂で有名です。
キッコーマンが買収して流山キッコーマンにしてしまったので、わかりづらくなってしまったのですよね。
レイさん
返信削除メールも戴きいろいろと情報ありがとうございました。
醤油工場の引き込み線は万上味醂を作っている野田醤油(株)で後の流山キッコーマンということですね。
社名の遍歴が
野田醤油(株)が万上味醂(株)を合併、
写真1962年の2年後に野田醤油(株)がキッコーマン醤油(株)に社名変更、
さらにキッコーマン醤油(株)からキッコーマン(株)に社名変更。
ということで1962年当時の工場名を野田醤油(株)に訂正しておきました。