2020年5月19日火曜日

TMS連載 第12回 別府港の煙

TMS連載もこれで12回目、連載スタートしてから1年が経ちました。

今回のTMS 6月号は「別府港の煙」です。
「失われた情景」が連載の趣旨であるため、これまでに取り上げた上武鉄道や竜ヶ崎線でも蒸機の写真は小さく1点のみ。今回も再スキャンして蒸機の車両写真を用意はしましたが掲載した蒸機は情景写真だけです。



撮影:1962.7.28
塀の中にいたのは雨宮製の1B蒸機であった。
雨宮製1号機は別府港駅構内で盛んに貨物入替をやっていた。

1号機で機関庫内に休んでいた2号機を引き出してもらった。

雨宮製の1B蒸機 1号機と2号機。

この日立製5号機の模型がTMS124号の表紙を飾ったのは1958年であった。

奥の機関庫で休んでいた日車製6号機

小さくまとまった別府港機関区の佇まい。

機関庫の中の2軸気動車キハ1と2(初代).上の明かり窓から日が差し込む.

8 件のコメント:

  1. 上武鉄道に続いて別府鉄道は偶然ですか?私には両鉄道がよく似ているように思えてなりません。工場の専用鉄道なのに日に数本、最後尾に車掌車代わりの2軸客車を繋いで客扱いをしていました。営業距離もよく似たようなものです。両鉄道に元西武の兄弟蒸機がいたとか。上武の2代目ハフ3は元日車製のガソリンカーでしたが、同じ姿のレカ1が別府にいました(レカ2もそっくりですが、加藤製らしいです)。そのレカが車庫の奥に留置されている写真はKatsuさんも撮っておられるようですが、走っている写真は見たことがありません。
    別府港駅の先の工場を抜けて突堤の上まで線路が延びていました。なぜそんなことを知っているかと言うと、私の出身地は神戸で1957年か58年頃に学校から別府へ潮干狩りに行った記憶があるからです(山陽電車の駅から歩いて行きました)。遠浅の浜から、煙を吐きながら機関車が海の上を行き来する姿が見えました。
    中学生になって加古川の親戚の家から自転車でカメラを持って行きましたが、板塀に囲まれた車庫はどうにも近づき難く何も撮らずに帰ったのが心残りです。

    返信削除
  2. 鹿部電鉄さん
    おっしゃる通りでこの2路線はよく似ていますね。
    私が撮影したのはどちらも1962年で、まだ地方私鉄に蒸機が動いていたよき時代でした。
    ここの所長さんの話によると2軸のキハ1と2は使われていませんでした。朝は2軸のキハ1と2では小さ過ぎて、大型ボギーのキハ3が三岐から来て最近使い始めたとのこと。見るからに不安定そうな2軸キハは自動車と衝突して転覆したことがあるそうです。

    最後まで活躍した2軸客車を含め7両も2軸客車が留置されていたのは、これだけ客車を必要とした多客シーズン(海水浴)が昭和30年代前半まであったようです。
    別府港の潮干狩りに歩いていったとは長閑な時代でしたね。
    海水浴列車のためにマッチ箱古典客車など2軸客車を何両も保有していたのが愉快です。

    返信削除
  3. 私が別府を初めて訪問したのは
    1975年頃で既に蒸機はなく
    機関庫内にキハ1の廃車体が残っていました。
    でも別府機関区の情景は1962年当時と
    驚くほど変わっていませんでした。
    それが別府鉄道の素晴らしいとこですね。

    返信削除
  4. 1970年代の別府港駅は貨物の入れ替えで賑わっていました。祖母の家が直ぐ近くで、その様子を飽きずに毎日眺めていました。駅員や機関士の方にも優しく声をかけていただきました。「ボン、ええもん見せたろ~」・・油の匂いのする機関区へと案内していただいて機関車・客車・気道車を見学させていただきました。凄く嬉しかったですね。詰所で冷たい麦茶もご馳走になりました。まだ神戸製鋼がない頃です。別府の浜では潮干狩りやマテガイを取ったり、祖父と一緒にボラ釣りを楽しみました。汽笛が聞こえると貨車が機関車に押されて入れ替えをしていました。何とものんびりとした時を過ごしました。今では景色も様変わりです・・
    唯一、遊歩道が当時の線路跡として残っています。今でも目を閉じると汽笛と陽炎がユラユラとしたあの暑い夏の日の思い出が蘇りますね・・レカーは(そのように呼んでいました)私の中では今でも走り続けています・・
    楽しい記事をありがとうございました。

    返信削除
  5. 別府鉄道、もちろん私は行ったことはありません(架線無いから!)。
    でも山陽電車車内から、見たことはあります。
    今年の2月に別府駅近くのラーメン屋(関西模型鉄御用達、店主も鉄)に行った時にすぐ脇に線路跡の遊歩道を少し歩いてみました。

    返信削除
  6. にぶろくさん
    13年後の別府機関区はあまり変わっていなかったですか。
    鉄ピクにあったこの頃の機関区の写真を見るとよい感じがします。
    蒸機なき後、2軸客車を牽くDB201が良く似合っていたと思います。

    返信削除
  7. パンダさん
    素敵な思い出を話をありがとうございました。
    1970年代もそんなよき時代の風景が残っていたのですか。
    別府の浜などのどかな風景が目に浮かびます。

    別府機関区で親切にされた話は他にも聞いたことがあります。
    私も詰所で冷たい麦茶をご馳走になったことがありますが
    もしかしたら詰所のおじさんは同じ人だったかも知れません。
    今の遊歩道をその昔走ったレカ1と2(キハ1と2)の写真を再掲ですが貼っておきました。

    返信削除
  8. Cedarさん
    別府駅とは何? と思っていたら山陽電鉄「電鉄別府駅」の今の駅名なんですね。
    地図にも別府鉄道野口線の跡がはっきりと残っていますが遊歩道でしたか。
    昔、電鉄別府駅の周辺には商店も殆どなかったのですが、
    58年も昔のこと、何もないのは当たり前ですね。

    返信削除