2020年5月24日日曜日

別府鉄道の遺産

別府港から山陽本線土山と高砂線野口まで走っていた土山線と野口線の廃線は1984年2月1日。その翌年11月に土山駅から延びる廃線跡の脇に開館した播磨町郷土資料館。

この郷土資料館を訪問された落合宏さんからここに展示されている別府鉄道の遺産の写真を送って戴きました。私は全く知らなかったですが、最後まで走っていた土山線の車両や鉄道遺産がよく保存されていて感心しました。関西からは多くのファンが訪れていることでしょう。

屋外で展示されている車両の保存状況は大変良好のようで、館内に展示された別府鉄道の切符、用具類、車両銘板類、解説資料など、地方鉄道の記録をしっかり伝えているのが嬉しくなります。

撮影:2016年12月 落合宏さん
播磨町郷土資料館入口。遊歩道が土山線廃線跡

DC302+ハフ5

元神中鉄道のガソリンカー.ハフ5 
ハフ5の車内

5号機に牽かれたハフ6
現役時代のハフ5.別府港機関区  1962年

館内の展示品
雨宮製作所製造の銘板は1号機2号機のものですね。




2020年5月19日火曜日

TMS連載 第12回 別府港の煙

TMS連載もこれで12回目、連載スタートしてから1年が経ちました。

今回のTMS 6月号は「別府港の煙」です。
「失われた情景」が連載の趣旨であるため、これまでに取り上げた上武鉄道や竜ヶ崎線でも蒸機の写真は小さく1点のみ。今回も再スキャンして蒸機の車両写真を用意はしましたが掲載した蒸機は情景写真だけです。



撮影:1962.7.28
塀の中にいたのは雨宮製の1B蒸機であった。
雨宮製1号機は別府港駅構内で盛んに貨物入替をやっていた。

1号機で機関庫内に休んでいた2号機を引き出してもらった。

雨宮製の1B蒸機 1号機と2号機。

この日立製5号機の模型がTMS124号の表紙を飾ったのは1958年であった。

奥の機関庫で休んでいた日車製6号機

小さくまとまった別府港機関区の佇まい。

機関庫の中の2軸気動車キハ1と2(初代).上の明かり窓から日が差し込む.

2020年5月10日日曜日

一面桑畑の丹荘駅

1962(昭和37)年12月、八高線で丹荘駅に下りると、良く晴れた暖かな12月の陽ざしを受け丹荘駅の構内片隅に鋼板張りの2軸客車が休んでいた。これが元川越鉄道の木造マッチ箱客車であったことを私が知ったのは最近であった。

撮影: 1962.12.23
ホームの端に上武鉄道の看板を掲げた上武鉄道丹荘駅。


八高線の丹荘駅を降りると左手に上武鉄道のりばがあった。

元篠山鉄道のハフ3入線により、ハフ2は既に使われていなかったようだ。
1967年12月廃車。
甲武鉄道から川越鉄道を経て西武鉄道の所属になったもので、軸箱フタに甲武のマークが残っている。


拡大:軸箱の甲武マーク

ダルマになった初代ハフ3の保線小屋


一面桑畑の中を行く八高線のC58貨物列車

2020年5月7日木曜日

コロナのこと

ブログも気がつけば前回のTMS紹介記事(三山線)から早や20日あまり。
2月からコロナのニュースに釘づけとなりブログもすっかり停滞してしまいました。
今、私は不要不急の外出を除く最小限の外出で今まで通りの生活を送っています。
まるで戦後のようなコロナ後で、社会、価値観、何もかもが変わりそう。
これが現実かと思うコロナ後の社会が日一日と進んでいるのが独居老人にも少しずつ伝わってきます。

私も3月15日から電車に乗っていない。人と会うのもあの3月の桜三連休が最後。
ニュースにあった電車やクルマで海へ出掛けたり、近くの公園や商店街で群れる等は、人の移動や群れることが問題だと分かると、その後すぐに海や公園などから見事に人が消えたのには驚いた。
ロックダウンなしの要請、指示だけでここまで出来るのは、如何にも日本人らしい不謹慎を嫌いルールを守る心があるからだろう。さらに地方では感染の恐怖感から守りがエスカレートし、他県ナンバー車への忠告し過ぎの問題が出るほど。

日本各地の行動制限(%)が実行再生産数の数値に反映し、その数値は2週間後辺りに新規感染者数として表れている。
これから緊急事態宣言を終了し段階的解除に入ると次の感染第2波が発生し、また行動制限して感染速度を抑制し、何回か小波を乗り越えているうちに治療薬やワクチンの実用化でコロナウィルスを収束させる、これが日本のコロナ作戦のようだ(BS1 NHKスペシャル)。



上武鉄道丹荘 1962.12.23