2019年8月12日月曜日

加賀温泉郷通いのロマンスカー

北陸鉄道加南線にカルダン駆動のロマンスカーが投入されたよき時代。
山代温泉、山中温泉の客をロマンスカーで運んだよき時代。
そしてすぐに終焉を迎えたロマンスカー。
鉄道模型趣味8月号にカラーで紹介されたchitetsuさんの「歴史のひとこま」のイメージはこの時代の山代車庫が目に浮かぶ。

鉄道模型趣味8月号 chitetsuさんの「歴史のひとこま」のシーン。


撮影:1964.12.29
刻々変化する雨雲から一瞬差し込んだ太陽に輝いたロマンスカー「くたに」。その隣に元温泉電軌の古参電車。 山代車庫

山代車庫

ツートンカラーに塗られた6000系「くたに」 山代車庫




ロマンスカーから電動貨車まで変化に富んだ題材ありの山代車庫。

雨降る河南を発車し山中温泉へ向かう「くたに」。

16 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2019年8月12日 23:35

     北陸鉄道時代は知りませんが、大井川鉄道でトレーラーになっているのに一度だけ乗りました。これとアルミ車体の白鷺が揃った頃が、北陸鉄道の全盛期だったのですね。

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  2. モハメイドペーパーさん
    大井川鉄道でこれらの末期は悲惨な状況だったようですね。
    あの時代の加南線では地方でもこれからは自社発注の時代がやってくるのかと活気を感じたものです。
    それとは正反対の方向に向かっているとは思いもよりませんでした。
    社会の大きな流れであったのですね。

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  3. イワキ鯨川2019年8月13日 17:50

    せせこましい田舎電車の車庫にもそそられますが、
    広がりを持つ田舎電車の車庫には、さらに惹かれるものがあります。
    駅本屋側に町並みはあっても、車庫の向こうは田んぼや草地という
    シチュエーションは、いかにも地方鉄道の車庫にふさわしい景色では
    ないかと思います。

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  4. 北鉄各線の状況と車両は、少年時代に読んだ鉄道P誌で知りましたが、それから程なくして多くの路線が消えて行き、結局現在まで残ったのは金沢の通勤通学路線、浅野川・石川の両線だけが残ると言うことになったのでした。
    前にも書き込んだことがありましたが、山代・山中の両線は、北陸線の特急停車駅争いに巻き込まれてその「犠牲」になるという不運もあって廃線のやむなきとなったのでしたが、"Discover Japan"で温泉地もブームになって、宴会目当ての団体客を当てにしていたその頃とは観光の形も大きく変化し、そういう旅行スタイルの変化について行けず古いタイプから抜け出せなかった多くの旅館が衰退し、その後休廃業に追い込まれ今では「廃墟化」した旅館も多く見られるという現状を見ると、仮に「加賀温泉」駅ができず大聖寺と動橋の両方に多数の特急が停車するようになっていたとしても、「ハード」が貧弱だったように見えたこの北鉄の両線は、「水泡経済」の崩壊を迎えた平成の幕開けまで持っていたかどうか、というとそれは非常に厳しかったように思えます。
    大井川に行った山中線の自慢だった「くたに」と「しらさぎ」、「くたに」は悲惨な最期を迎えましたが、幸運にも故郷に「里帰り」することができた「しらさぎ」は、今も山中温泉街の入り口で静かに余生を送っているようです。

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  5. 今回も懐かしい画像をありがとうございます。
    加南線とくれば居ても立っても居られない私ですので(お笑いの事と思いますが…)、待ってました!
    早速コメントいたしますが…

    加南線時代のくたに・しらさぎの両車に乗る事ができた私は、今となっては貴重な体験の持ち主なわけですね。当時、小学生でした。
    初めて大聖寺で国鉄を降り(ED70の牽く旧客でした)、昔の駅には必ずあった跨線橋を降りると、出迎えてくれたのがくたに号でしたが、たった2両編成の電車というのも初めてで、クリームと朱色のツートンカラーというのも新鮮でしたし、正面の「くたに」のプレートも、本物の九谷焼製だというのも後で知りました。
    しらさぎ号は、これもずっと後から知った事ですが「シャンデリア電車」なんて呼んだ人もいたようですね。夜走っていると、灯火類がアルミの車体に映えて綺麗でした。
    しかし、区間の半分ほどがトロリー線で、そこをロマンスカーが走っていたのは子供心にもはっきりと違和感を覚えました。
    たまに元温泉電軌や遠州鉄道の旧型車に当たると、ロマンスカーの2車より見劣りしましたが、それもまた加南線の魅力でした。

    子供時代の懐かしい記憶として、今も鮮明に思い出されます。
    できればくたに/しらさぎ共に北鉄の他線区で活躍させたかったですね。
    里帰りしたしらさぎは幸せだと思います。

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  6. イワキ鯨川 さん
    田舎電車の車庫のシチュエーションの見方は面白いですね。
    私も駅や車庫の背景によく目が行きます。
    昔は一面に田んぼや草地だったところが今はすっかり綺麗になって町並になっている。
    そんな様変わりはどこも同じようですね。
    そして、こんな車庫には模型の題材となる小道具や情景が多く
    模型にして並べるだけでも楽しくなりそうです。

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  7. 伊豆之国さん
    おっしゃる通りだと思います。
    北陸本線の「加賀温泉」駅の新設にかかわらず加南線は衰退・廃線に向かったと思います。
    クルマ社会が到来しマイカーやバスが客の足となり、温泉そのものも団体客の衰退で斜陽化して行った。
    すべては日本の社会の変化が起因したと思います。
    金沢に今も残る北陸鉄道の2路線は通勤路線として生き延びたようですね。

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  8. esehokuさん
    加南線といえばesehokuさん、いつもコメントありがとうございます。
    「くたに」のクリームと朱色のツートンカラー、私はすっかり色合いを忘れてしまいましたが、
    あの有名な北鉄ツートンカラーではなくもっと落ち着いた色だったと思います。
    私が訪問した時はどうしても旧型車に目が行ってしまい、新型車の「しらさぎ」や「くたに」はあまり目を向けていませんでした。
    数日前、写真を見ていて元遠州鉄道のクハの台車には惚れ込んでしまいました。
    車体と台車が実にアンバランスで愉快です。
    遠い昔の北陸鉄道の写真を1枚1枚よく見ていくと、まだまだいろんな楽しみが掘り起こせそうです。

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  9. katsu様
    連投すみません。
    くたに号のカラーは、確かにあの北鉄カラーとはちょっと違った気がします。
    もしかしたら、旧型車と同じ色だったとしても、旧型車がどことなく厚ぼったいトーンだったのに対し、くたに号の方はよりクリアーな感じだったかもしれません(多分に、デザインも影響して印象が異なっていたのかも)。
    北鉄のホームページで、鶴来の駅で旧型車と連結された珍しい画像を見る事ができますが、色調は補正されているかと思います。少しキツい感じがしますね。
    元遠鉄の車輌は、客扱いドアの窓ガラスが十字の桟のままでした。台車はブリルとかあの辺の物ですね。大きめの車体にどこか貧弱な台車で、やはりアンバランスでした。

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  10. esehokuさん
    「くたに」のカラーリングがネットでも見れますが正しい色合いは分かりませんね。
    esehokuさんの記憶が正しいかと思います。
    記憶とは色合いが違っているのはすぐ判るような気がします。
    と言って記憶の色合いがすぐだせるかというとそれが難しい。

    元遠鉄のクハは車体だけ購入して北鉄手持ちの台車を装着したようです。
    私が撮った可愛いブリルはその後ありふれた台車に交換されてしまったようです。
    ブリルの図鑑を見てやっと撮った写真に近いブリル型式が見つかりました。
    複雑難解なブリルの小型台車、今日はこれに振り回された一日でした。

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  11. 代打・山本2019年8月16日 3:18

    遠州鉄道から来たクハ1600の台車は、ほぼ1年おきぐらいに履き替えていたようですが、1962年に竣功した当初に履いていたのはブリルの軸距1372ミリのもので、もともとは南海の木造車が履いていたものが合併前の北鉄各線に渡り、様々な経緯で辿り着いたようです。
    貨車の入れ替えに使われていた木造単車改造の電気機関車をボギー化するにあたり、小型ゆえに目をつけられて召し上げられ、名鉄から部品取り用に購入した木造車の台車に履き替えたかと思えば、日鉄自のNT-28Bになっていたり、いまだに全容が解明できていません。

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  12. 代打・山本さん
    クハ1600形の情報ありがとうございました。
    私が撮影した1964年12月時点ではクハ1600、貨物車モヤ503のどちらも小さなブリル形状した台車を履いていました。一度これらの小型台車の写真を並べて比較してみようと思っています。
    ブリル形状した国産メーカ品もあるようでブリル○○の表示は厄介です。
    私がクハ1600形で注目したのは車体に対しあまりにも小さな台車を装着した点で、あの軸距を知りたかったのです。それが1372mmでしたか。ブリルだと最小クラスの軸距ですね。

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  13. ご紹介ありがとうございます。
    この当時の地方私鉄の新車は、生き残りを賭けた最後の華のような存在だったのだと思います。
    在来車や施設とちょっと不似合いなその雰囲気が好きです。

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  14. 3年ほど前に母親と山中温泉に行き、帰りは山代温泉、片山津温泉経由のバスに乗りましたが、温泉の寂れように哀しい気持ちになりました。時代の流れと言えばそれまでですが、電車があったことが信じられない雰囲気でした。

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  15. chitetsuさん
    TMSの記事を使わせてもらい失礼しました。
    この模型記事で赤い電車と旧型車がいる車庫の風景を見た時、
    加南線山代車庫のイメージが浮かんできました。
    ある時代の地方私鉄の象徴的な場面だったのでしょうね。

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  16. Cedarさん
    北陸の二大温泉もそんなに寂れてしまったのですか。
    温泉に通う交通だけでなく温泉そのものが寂れてしまうとは・・・。
    一方で温泉は今も人気があるのは昔栄えた温泉とは何かが違うのでしょう。
    今、電車に乗って温泉へ行けるのは大手私鉄ぐらいでしょうか。

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