2019年5月23日木曜日

碓氷峠のアプト式撮影会1

昭和38年夏の松本電鉄浅間線を終えると、篠ノ井線経由で軽井沢へ向かいました。
この日の夜は鉄道友の会の撮影会に合流し軽井沢の国鉄宿舎に一泊するためです。友の会の撮影会は翌朝、軽井沢からアプト区間に沿って旧道をバスで移動し、要所でバスを停めて思い思いのポイントで撮影するというものでした。
松本経由で鉄道友の会の撮影会に合流させてもらったのですが、今思えば廃止間近な貴重なアプト区間を先輩方と共に撮影できたのが大変ラッキーでした。

昨日のfacebookでは気動車の碓氷峠越えに話題があったので、碓氷峠の気動車を4点アップしてみました。碓氷峠のアプト式には興味ある方が多いようで、過去のブログの記事「碓氷峠 アプト式の終焉」などをリニューアルして再掲載します。画像は鮮明度アップした画像や、新規の画像にすべて入替えます。

 wikiによれば 「国鉄キハ57系気動車」 はキハ58形グループの特殊仕様で、キハ57形だけに碓氷峠越えのために台車に空気バネとディスクブレーキを採用したその理由が記載されています(wikiの出典元は不明)

ED42×1両+キハ57系+ED42×3両で碓氷峠のアプト式区間を登る。撮影:1963年7月21日。
7月15日から碓氷峠新線が使用開始されている時で、9月30日に全列車が新線へ移行しアプト式区間の役目を終えた。そして気になるのが下を走る車。 

この車が初代プリンス・スカイラインとは知らなかった。誕生したのは1957年4月で日産と合併する前のプリンス時代の初代プリンス・スカイラインだそうだ。よく知られたロングノーズの精悍な2000GTは二代目プリンス・スカイラインであった。

こちらもアプト区間を登るED42×1両+キハ57系+ED42×3両。キハ57の空気バネらしき台車が見える。

そして有名な特急「白鳥」キハ82系の碓氷峠越え。
軽井沢← 白鳥の前部にED42×1両 

軽井沢← 白鳥の後部にED42×3両 

参考:RMライブラリー149巻「国鉄アプト式電気機関車(下)」ネコ・パブリッシング発行

2 件のコメント:

  1. 晩年のアプト式区間に行かれたのですね。
    画像は有名な『中尾橋=第13橋梁』と、その近くで撮られたものでしょうか?
    国道18号が橋の下を二度くぐるのが特徴的でした。
    私自身は38豪雪の年に、急行「白山」で通っているはずなのですが、殆ど記憶にありません…(何しろ幼い頃でしたから)。
    多分に新線と併用されていた頃の、茶色の63が停まっていたのがギリギリの記憶です。
    現在、熊の平までの廃線跡は歩道整備されたのと、件の中尾橋の辺りも草が刈られて、あの特徴的な第13橋梁も見えやすくなりましたが、歩いてみると「よくもまあ、こんな急勾配に幹線鉄道を…!」と恐ろしく思えるほどです。
    廃線跡を初めて辿った時は、橋梁の擁壁が異様に大きい第6橋梁なんて(まだ近代化遺産に指定される前でしたから、草木に覆われている状態で)、正直、不気味な雰囲気を覚えました。
    第3橋梁「めがね橋」も、美しい事は美しいですが、他の遺構も含めて、先人の苦労のようなものが感じられて、畏怖するような想いでした。

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  2. esehokuさん
    38豪雪に乗車されたということは昭和38年7月15日の新線開業前に新線用EF63試作機の試験や訓練が行われていたときですね。私達が訪問した時は新線開業の直後でした。
    2枚目3枚目の写真はその通りで第13橋梁で国道が2度くぐる中尾橋です。
    第6橋梁は撮影できませんでした。
    碓氷線のシンボル第3橋梁めがね橋に比べると、その先のこれらの遺構はとても地味ですね。

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