2018年3月15日木曜日

野上電気鉄道 日方驛

とっておきの1枚です。

日方 1965.8.4

夏の日の昼下がり。日方駅ではこんな光景が見られた。
駅前の売店の上に掲げられた得体の知れない看板。沿線観光案内のようで、どこの路線でも駅によくこんな看板があった。右手立看板の納涼ナイターとは?
左に停車しているボンネットバスから降りてきたのか、駅に向かっているベテラン運転手と若い車掌。電車ではなくバスのコンビで、親子くらいの歳の差なのだろう。

電車の発車までまだ時間があるようで、待合室では乗客が改札開くのを待っている。
木板に手で書いたような日方驛の看板。
コンビニ、自動販売機、ワンマンのバスや電車、携帯電話なんて無かった時代。
小さな電車が発車するまで、夏のひと時の長閑な空気感。
 

11 件のコメント:

  1. 素晴らしいです!人の配置までこのまま、模型にしたいですね。
    Cedarは昭和42年になって行きましたが、電車の塗装はこのままでした。
    看板で憶えてるのはホームにあった陀羅尼介丸の広告です。

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  2. いつも懐かしくも美しい写真の数々、楽しく拝見しています。
    文中にある得体に知れない看板は当時野上電鉄の終点の登山口より行くことできた生石(おいし)高原の風景ではと思います。
    また、右手立看板の納涼ナイターは看板からも読み取れますが、1994年まで営業されていた和歌山市の和歌の浦にあったロープウェイが通常は夕方5時までの営業が夏季1か月のみ夜10時まで営業していたのを宣伝していたものと思われます。

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  3. Cedarさん
    ありがとうございます。だれかこの場面をセクションレイアウトでこ再現してくれると嬉しいのですが。模型で一つ一つの小物があの時代を表すと思います。
    野上の電車は言いようのない微妙な一色塗りで、濃いブルーの記憶があるのですが、ピクトリアルの表紙によればグリーン系のようですね。
    当時の看板によくあった独特の絵、あれは看板屋が描いた絵なのでしょう。

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  4. 天ワカさん
    詳しい情報をありがとうございました。
    写真ではあの絵がよく分かりませんが、登山口から入る高原が描かれたこの看板の絵を、何かで見た記憶があります。
    立看板のナイターとはロープウェイの営業時間でしたか。まだクルマがそれほど普及していない時代、バスか軌道線に乗って行く和歌の浦のロープウェイは、市民の夏の夜の楽しみだったでしょう。楽しみが溢れ反っている今の豊かな時代と違って、当時の楽しみは質素でも思い出深いものがあると思います。

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  5. せっさん琢磨2018年3月17日 10:26

    本当にすばらしい写真をいつもありがとうございます。
    実は、日方駅のすぐ近くで育ったのですが
    私の記憶では、日方駅の横には
    商店も看板もないので
    昭和48年頃には無くなっているかもしれません。
    丁度、この頃は
    廃線の話が出て、揉めていたときです。
    (結局、海南市や野上町や県が支援することになりましたが
    ご承知おきのとおり、支援の中止とともに、平成の世になり
    廃線となりました)

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  6. 初めまして。もう何年も前から美しい日本の鉄道情景が紹介される度にため息をつきつつ楽しませていただいております。
    ところで私も野上電鉄にはかなり思い入れがあって、この写真から20年後にたびたび訪問したのですが、今その頃の写真を振り返って見てみると見事なくらい変わってません。ある意味、最盛期の地方私鉄の姿を最後まで残した鉄道だったように思います。日常的な利用者にとっては古ぼけた鉄道だったのでしょうが、この鉄道に出会えたのは幸せな経験でした。

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  7. 続けさますいません
    「日方駅」の看板も後年のものと違いますね。。
    1974年の写真に
    看板と店があるので
    店と看板が無くなったのはもう少しあとかもしれません。
    残念なのは、野上電鉄は最後が荒れたことですね・・・
    1970から1980年代はノンビリ、穏やかだったんですが・・
    私は日方駅のホームで、写生の絵を書いた記憶があります。
    そんな時代でした。

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  8. せっさん琢磨 さん
    幼いころに過ごしたのが日方駅近くでしたか。
    廃線直前の野上電鉄の写真を見ると「日方駅」看板は殺風景で確かに別物ですね。
    最後まで野上電鉄にローカルカラーが満ちていたのが松村康史写真集「野上電気鉄道」でよくわかります。
    風情あふれる小鉄道だったのですね。

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  9. 道草人生さん
    日本の鉄道情景を見ていただき、ありがとうございます。
    私が日方を撮った時代から、野上鉄道は30年近く存続したのには驚きます。
    最後まで野上の良さが残されたようで、
    良き時代の地方私鉄の姿を最後まで残した鉄道の一つは間違いないと思います。
    私は1965年の一度しか訪問してなく、あれ以降はどの路線も大きく様変わりすると思いこみ、
    鉄道撮影を止めてしまいましたが、今思えば残念なことをしてしまいました。

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  10. こんばんは。
    野上電鉄は、往時には他の地方私鉄に劣らずとてもいい雰囲気の路線だったようですね。お写真の頃は、きっと、穏やかな時の流れの中にあって、魅力たっぷりだったのではないかと想像しています。
    古めかしい車両が最後まで活躍していて、末期まで本当ならば愛されたはずだったのではないでしょうか。
    お写真の駅も、まるで模型のジオラマを見ているかのようです。拝見していまして、ほのぼのとしてきます。夏の暑い日に、蝉の鳴き声が聞こえてきそうです。
    貴重なお写真を拝見でき嬉しく思います。

    この度は写真集を刊行されるとのこと、本当におめでとうございます。
    夢の中に消えて行ってしまったかのような私鉄の数々、大切な記録が後世に残ることは、とても大切なこと、素晴らしいことです。
    ぜひ私も、手に取らせて頂きたいと思っています。

    風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

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  11. 風旅記さん
    私は野上電鉄は日方駅しか知りませんが、沿線や施設がなかなか魅力あふれる路線だったようです。
    もちろん車両も好ましい小型車ばかり。
    そんな小私鉄を淡路島からの帰路に立ち寄ったのが、あの夏の日の駅前風景でした。
    関西の喧しいセミの声が確かに聞こえてきそうな最も好きな1枚です。
    先日も書きましたが、ブログを8年間やっていたおかげで、次第に写真集のテーマが浮かんできました。
    「失われた日本の風情」にたどり着くまで8年ほど掛かったといわけです。

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