2010年にスタートしたブログもお蔭さまで今春で8年。4月に入ると、ブログからの展開で色々な活動がスタートします。4月2日にはそれをお知らせします。
(意味不明の文章で申し訳ありません、訂正致しました。8年ぶりのブログ更新?ではありません)
1987(昭和62)年3月31日、真壁に最終列車が到着し筑波鉄道はすべてを終えた。あれから今年で31年、本ブログでは2011年2月から「最後のつくば鉄道」を連載し、最終日のことも何回か紹介してきましたが、もう一度リニューアルしてみます。
昭和62年4月1日、JR誕生で新しい時代を迎えた日。その前日の3月31日は「国鉄」時代最後の日であった。と同時に筑波鉄道最後の日でもあったが、JR誕生前夜の大ニュースに隠れて筑波鉄道の廃線は殆ど話題にならなかった。
筑波鉄道の最後の日、私は仕事を終え夜の筑波駅に向かった。今夜で終わる筑波駅を撮って真壁へ向かい、真壁止まりの最終列車の到着を待った。桜が咲き始めた春とはいえ、この日はかなり冷え込む夜で震え上がった。
最後の夜を迎えた筑波駅はひっそりとしていた。1987.03.31
真壁駅では刻々と最終列車到着の時間が迫っていた。
筑波鉄道にお別れに来た地元の人たち。真壁駅
車体に描かれた「70年の長い間ありがとうございました」
大変に冷える夜遅く、最後を見届けようと早くから人々が駅に集まり、最終列車の到着を待っていた。
真壁に到着する最終列車.1987.03.31
22時過ぎ真壁止り最終列車が到着。真壁の下りホームは地元の人々で溢れ、お別れに来た人々の歓声の中をキハ761+505が到着し、筑波鉄道の歴史は終わった。
桜が開花した下を気動車は上りホームに移動し、セレモニーの後、別れを惜しむ職員と家族が記念写真を撮っていた。
真鍋の車庫へ引き返すキハ761が闇夜に消えて行く。ごくろうさまでした、最後まで名残りを惜しむ地元の人々。
気分的にはかしてつと同じテイストを感じますね。
返信削除せめてつくば新都市が沿線直ぐ近くであれば、
こういう形で追い込まれなかったでしょうか。
ねこあたまさん
返信削除確かに鹿島鉄道と似たところを感じます。
つくば新都市と繋がっていれば大きく変わっていたかもしれません。
鹿島鉄道の最終日との違いは、つくばには喧騒がなく静かな終わり方でした。
これが時代の違いなのでしょう。
こんにちは。
返信削除廃止の最終日は、寂しいものだろうと思います。私自身が知る中で今までに、新しく開業する路線や区間もありましたが、廃止された路線は数知らず、それぞれの場で寂しさが繰り返されてきたのだと思います。
失われようとしているものへの想いが出てくるのは私も同じなのですが、昨今の、イベントじみた演出や、それに乗じた一部のファンの粗暴な振る舞いを見るのが嫌で、いつも鉄道の廃止はニュースで見るばかりです。
鉄道は、やはり日々の暮らしや旅の手段であって欲しいと思いますし、そのようにして関わった利用者や運営に関わってきた人々が真っ先に、最後の名残も噛み締めて欲しいと思っています。
もしその場にいることができたなら、こちらの記事のように、関わりの深い方と一緒に見届けるような在り方でいたいですね。
あと少しで、三江線が廃止になります。石勝線の夕張支線も廃止日が決まってしまいました。札沼線の末端区間もそのような話が出ています。
本当に悲しいことです。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
風旅記さん
返信削除こんにちは。
確かに昨今の最終日は嫌われますね。
人をかき分けて車両だけを撮る意識があまりにも強過ぎる人たち、
いつからこんなことになってしまったのか、
昔に比べて鉄道ファンの裾野が広くなったせいでしょう。
せめて最終日くらいは、鉄道とのお別れ風景を問題ないように撮ればと思います。
3月末は廃線が何かと気になります。
私は筑波鉄道は、土浦~岩瀬、乗り通しで1度だけ乗車しました。筑波山の麓の風景は今でも記憶に残っています。真壁は今でも昔の街並みが随所に残る魅力的な街です。鉄道線廃止後の路線バスも2010年代に無くなり、車でしか行けなくなってしまいました。筑波鉄道の痕跡(サイクリングロード)を見ると、時の流れを感じてしまいます。
返信削除京葉帝都さん
返信削除全線乗られましたか。
よい思い出になったことでしょう。
真壁の街は今や陸の孤島になってしまいましたね。
ただ昔からクルマで移動する地域なので地元では何の不便もないのでしょう。
今、東京から鉄道で行くには真壁~つくば新都市のバスが無くなったので、真壁へ行く気も無くなりました。
元つくば駅までバスで行って、サイクリングロードを走ることも考えられますが、歳でそんな元気もなくなりました。誰もが車で行くところなんでしょう。