2017年8月29日火曜日

元松坂線の丸妻電車

内部・八王子線を走っていた元三重交通松坂線の丸妻電車の写真を集めてみました(再掲含む)。松坂線がイメージされる丸妻電車モハとサハは、他の平妻車両に較べ抜群の魅力を感じます。

丸妻同志の編成モハ231+サハ112  日永 1965.8.5


 モハ231+サハ112  日永


モハ231

モハ231 内部

 元丸妻電車のサハ化113 内部

 元丸妻電車のサハ化112 日永

サハ112

参考) 平妻電車モハ241、214 近畿日本四日市
近鉄本線と並ばなければ堂々たる私鉄発着駅に見える内部・八王子線。


2017年8月27日日曜日

水浜線 なめ屋旅館と大貫の大カーブ2

すでにfacebookで紹介済みですが、海風さんの許可を得て同人誌の表紙を紹介します。51年前に消えた水浜線と今も残る「なめ屋旅館」と大貫の大カーブ。同人誌「海門橋の向こう側に」制作 海風さん、表紙イラスト ヒロンドさん、発行 樟の樹

同人誌の表紙「なめ屋旅館」と大貫の大カーブ。



電車の左手辺りに「なめ屋旅館」があり、その先の大カーブで海岸に出る。今に語り継がれる水浜線の大貫停留場と「なめ屋旅館」と大カーブ。物語が凝縮した一角となった。 
ブログで水浜線がスタートしたのがこの大貫停留場の1枚からであった。1966年5月 撮影:青蛙氏

2017年8月22日火曜日

水浜線 なめ屋旅館と大貫の大カーブ1

水浜線大貫停車場跡の先に今もあるこの場面。「なめ屋旅館」のご主人様がこの2月に他界され旅館は現在営業されていないそうです。なめ屋旅館や大貫の大カーブなど水浜線の跡を詳細に取材しておられる「海風」さんの写真で51年前と比較してみました。

撮影:カラー 海風さん2017年夏
      モノクロ 田辺さん1966年2月


軌道跡(きらめき通り)とよく手入れされた「なめ屋」旅館。ほんとうに綺麗な木造建物で51年経ったとは思われません。昔の面影をしっかり残した昭和の旅館もいよいよ消えてしまうのでしょうか。
背後に見える看板が大貫停留場。

51年前の面影残す大貫の大カーブ。
この写真を初めて見た時ここは駅かと思ったが、そうではなかった。

大貫の大カーブを曲がると海岸に近い直線区間を走っていた。
51年後、縁石にカーブの跡がしっかり残っている。
 

昭和初期の大洗 国土地理院

2017年8月20日日曜日

昨日の第18回 JAMコンベンション。

大規模な鉄道模型展示会の中から、お馴染み地鉄さんの昭和30年代後半の地方私鉄作品や、Cedarさん所属の「鉄犬モハモハ主義コンペ」の阪神車両などを撮ってみました。

 駅前の片隅から出ている軌道線、あの時代はよくこんな路線がありました。堪らない情景です。

国鉄本線の駅を降りるちょっと離れた処に地方私鉄電車が待っている。

野上電鉄へ譲渡された元阪神小型車。あの時代の野上の微妙なカラーリングの再現には苦労されたことでしょう。

阪神引退後に各地の地方私鉄で大活躍した阪神小型車。

いつもブログでお世話になっているCedarさん出展の阪急西宮北口。

2017年8月16日水曜日

昭和44年の高知 桟橋線

街を行く路面電車の写真は、前方後方斜めからの1パターンになりがちで、そうなると飽き飽きしてくる。それらを排除して最少限とし、大きめの画像にしてみました。路面電車は時代を感じさせる風景がどれだけ写っているかが面白さだと思います。懸命にクルマを避けて撮った殺風景な路面電車は使い物にならない。そんな写真がなんと多いことか、時代が分かるクルマは決して邪魔ではなかった。

桟橋線 昭和の風景 1969.5.5 ワンパターンの1枚

桟橋線 戦後を感じさせる広々とした道路。

  桟橋線 桟橋通三丁目

桟橋線

桟橋線 はりまや橋

桟橋線

桟橋線 桟橋通五丁目


友人の友人宅に泊めてもらった朝の記念写真。

2017年8月13日日曜日

昭和44年の高知市街

田辺さんの高知駅前の1枚を見て、まだスキャンしていない高知市街のネガを思い出しました。

日本は高度成長期の後半、増産増産の工場は公害垂れ流し、クルマは一気に増え、1960年代も終わりを迎えていた。寅さん映画でよく見る懐かしい日本の風景(70年代)がスタートする頃であった。あれから48年もの年月が過ぎた。

古い時代を感じさせる高知駅前の1枚。1969.2.22 撮影:田辺多知夫氏

以下はその3ヵ月後 1969.5.5に私が撮った高知市街。

高知駅前と市中心部の「はりまや橋」を通って桟橋通五丁目を結ぶ桟橋線に単車300形が次々とやってきた。桟橋線 はりまや橋

桟橋線 はりまや橋

後免線知寄町行き。

高知城が見える市街。

鏡川を渡る桟橋線。

桟橋線の終点 桟橋通五丁目。対岸の工場地帯は大変な公害。この1枚のみ再掲。
 

2017年8月12日土曜日

海辺を走る土佐電気鉄道 安芸線2

私が安芸線の後免町駅を訪問したのは1969(昭44)年5月ゴールデンウィークであったが、田辺さんはその3ヵ月前に訪問していたのを今になって知った。この頃の安芸線の車両は阪神の小型車一色であった。

この時、私は四国観光旅行の合間に立ち寄ったもので、後免町の車庫で車両を撮るとすぐ引き上げてしまったが、田辺さんは海辺を走る安芸線の沿線まで踏み入れていた。私は宿毛の先から徒歩で足摺岬一周した翌日で安芸線に踏み入れる気力はなかった。

以前紹介した後免町駅のことはこちら→安芸線の魅力

土佐電市内線と安芸線のジャンクション後免町駅の魅力。1969.5.5

直通仕様の路面電車が安芸線に乗り入れ安芸方面へ向かう。後免町 1969.5.5

以下安芸線 撮影:田辺多知夫氏 1969.2.22

クハニ3501

 モハ5008

モハ5008

モハ5003

クハ3002

2017年8月9日水曜日

海辺を走る土佐電気鉄道 安芸線1

昭和44年、海辺を行く土佐電市内線の電車。
これは貴重です! まさにこれぞ「土佐くろしお鉄道」

撮影:田辺多知夫氏 1969.2.22
安芸を発車し市内線鏡川橋へ向かう安芸線乗り入れ車。 


安芸線乗り入れ車。
背後に海を見る。

鉄道線と路面電車の二種類のホーム高さ。

安芸線乗り入れ車

安芸線 海辺の駅

はりまや橋を通過する鏡川橋行き直通電車。街の中心部から黒潮の安芸まで乗り換えなしで行けたのですね。