紀伊本線の藤並駅から有田川上流の金屋口までを結んでいた有田鉄道。廃線が2002年とは意外でよく生き続けた小鉄道であった。1964年に見た車両や施設はその後大きく変貌し、2002年廃線時の有田鉄道とはかなりイメージが異なる鉄道であった。
有田鉄道 藤並駅の光景。紀伊本線のホームに降りるとそこに有田鉄道の改札口があった。 1964.07.09
キハ210に乗って着いた金屋口は御坊臨港鉄道と同様で木材だらけ。有田川上流が木材産地で御坊臨港の終点日高川とよく似ている。
スマートなキハ250 山鹿温泉鉄道の注文流れ品で昭和29富士車両製の新製気動車。
有田川が流れる金屋町の玄関金屋口の駅前風景
はじめまして。
返信削除写真の十数年後、1976年頃に撮影に行きましたが
森製作所のDLとキハ07の塗色以外は
車両も風景も変わっていませんでした。
金屋口駅…こういう、小さいながらもしっかりと駅の雰囲気を湛えている所も、今は少なくなってしまいましたね。
返信削除前回までの御坊臨港もそうでしたが、なんか小私鉄なりに精一杯に粋を凝らしているというか…上手く言えないのですが、やっぱり味わい深いです。
90年代に行った事があります。
返信削除既に鉄道としては形だけ残っている状態でした。
特に休日に至っては、鉄道のダイヤをバスが
走っていましたから、何のために来たのか
よく解らない状況になっていました。
ニブロクさん
返信削除あれから10数年後でも車両や風景が変わりませんでしたか。
私はすぐに車両が一変したと思っていました。
あの光景が10以上続いたとは意外です。
esehoku さん
返信削除しっかりとした駅の雰囲気は、地方の小私鉄が栄えていた名残ではないでしょうか。
車社会になる前の地方の交通手段はこんな小さな鉄道が主力だったと思います。
ねこあたま さん
返信削除90年代はそんな状況でしたか。
そこから2002年の廃線までよく存続したものです。
いつも貴重な写真や記事をUPしてくださり
返信削除ありがとうございます。
尊敬するやら羨ましいやら
楽しみに拝見してます。
私が1976年に訪問したのは
有田鉄道が富士急からキハ58を購入して
キハ07が淘汰されると聞いたからでした。
正確にはキハ210とは別のキハ07206、207が稼働してました。
国鉄時代の塗色そのままで好感を持ちました。
記事ではピカピカのキハ250ですが
1976年時点では休車のような状態で
金屋口で荒れ果てていました。
ニブロクさん
返信削除ありがとうございます。
富士急から来たキハ58を写真で見ると、
有田鉄道にこれほど似合わない気動車もないだろうと思ってました。
でも、趣味じゃないので実用上は問題なかったのかも知れません。
活躍の場が少なかったキハ250は使い勝手が悪かったのでしょうか。