2016年2月16日火曜日

昭和40年7月北海道 明治鉱業昭和炭鉱専用線1

田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」、留萌鉄道の終点昭和炭鉱で動いていたクラウス17号と15号が大変お気に入りのようで、ここにはかなり時間を掛けて滞在したようです。

 昭和40年7月24日
以前「marimoさんを偲んで」で使わせてもらった画像です。


クラウス17号と15号

6 件のコメント:

  1. なんかるの片岡2016年2月18日 11:49

    馬車と機関車の出会いが素晴らしいです。

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  2. 片岡さん
    田辺さんが初めて送ってくれた北海道の1枚がこの馬車と機関車の写真でした。
    北海道で撮った中のお気に入りの1枚だったのでしょう。
    昭和40年の日本の光景とは思えない感じがします。
    また中千住で撮った東武蒸機も日本ではないような雰囲気がありました。

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  3. 「ニュースで綴る日本の鉄道30年」というビデオ(VHS・絶版)には、昭和40年頃の秋田駅前の情景が映し出され、そこにはまだ馬車が走っていたのに驚きました。
    もっぱら北の地方は、その時点でも近代化が遅れていたのでしょうが、高度経済成長を目の当たりにしていた東京周辺からは想像もつかない事でした。

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  4. esehokuさん
    こんな情景は絵になりますね。
    でも当時は何も感じなかったかもしれません。
    それが時代とともに貴重な情景となる。
    今の情景を何でも撮っておくものですね。

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  5. お久しぶりです。15号と17号は北海道で、このように日々を暮らしていたのですね。
    横浜のキリンビール工場で、17号の記念運転が行われたとき、カラー8mmフィルムで撮影しました。
    同時に、音声も記録したのですが、そのカセットが見当たらずくやしいです。
    https://www.youtube.com/watch?v=ff_Ic5xLA2Y
    このとき、旧式小型蒸気機関車なのに、大型蒸気機関車のような低音の汽笛であった記憶があるのですが、
    私の記憶違いでしょうか?もしご存知でしたら、ご教示下さい。

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  6. lodgershinmeishrineさん
    お久しぶりです。
    横浜のキリンビールでの記念運転はあの17号でしたか。
    動画を拝見すると幸せな光景ですね。こんな楽しさを味わえるのは今では明治村くらいでしょう。
    意外だったのは那珂川に保存されているのはこの17号だったのですね。
    私は実車を見ていないので汽笛は判りません。
    日本鋼管の1-B形クラウスは甲高い汽笛だったような気がします。

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