2015年12月27日日曜日

花巻温泉郷行きの馬面電車

以前アップした豊沢街道の1枚、肝心な街並み右側がトリミングで切れていたので再度アップします。こんな豊沢街道を走っていた馬面電車デハ3を見てみたかったものです。写真の電車は馬面と番号が同じデハ3で側面から見ると馬面とそっくりでこれも軌道線に似合う味のある電車でした。
豊沢街道を行くデハ3.   1964.08.02


側面から見るとまるで馬面デハ3のような幅広デハ3.終点の西鉛温泉

「花巻温泉郷」の看板を掲げた電車のりば. 1964.08.03
花巻一帯の温泉を「温泉郷」と表示されていた。

現在の観光パンフレットを見ると「花巻温泉」に対し「花巻温泉峡」と分けて表示されている。「花巻温泉峡」は花巻市から約40分ほどの山あい。豊沢川の渓流に沿って温泉宿が軒を連ねる温泉地。志度平温泉、大沢温泉、鉛温泉、新鉛温泉など全国から観光客が訪れる人気の温泉宿が多い(観光パンフレットより)。 この今でいう「花巻温泉峡」の昔を走ったのが馬面電車であった。

 デハ1型(3)   花巻  1964.08.03
デハ1型(3)

全幅1600デハ3の室内.膝と膝の間に一人通れるくらいか。人は通れない。

花巻電鉄デハ3の雨宮製板台枠台車

デハ5の運転台

デハ1型(4) 花巻    1966.03.04 

デハ1型(1)    1964.08.03

木造デハ5型(5)    1964.08.03

8 件のコメント:

  1. 馬面電車の横幅は1600㎜…。ちょっと私事ですが、私が最初に買ったクルマが初代アコードで、その横幅(カタログデータ)が1620㎜でした。
    電車の横幅が、国産中型乗用車程度だったわけで…。当時は広いと言われたアコードの室内ですが、改めてその寸法と空間を今思い出して、仮に人が横向きに乗ったらと仮想したら…とんでもなく狭いです!!
    よくぞまあ、電車として成立していましたね~。

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  2. 東北本線から望む「電車のりば」は、新旧の電車たち、廃凸電や廃貨車等、
    まるで模型の展示台の様相を呈していました。
    花巻駅を通過するたびに目にしていた風景ですが、残念ながら訪問は叶いませんでした。
    廃止後は東北道を通るたびに、山裾へとまっすぐに延びる廃線後に往時の思いを
    馳せたものです。

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  3. esehokuさん
    馬面電車デハ1型(1 3 4)、デハ5型(5)の主要諸元はどれも最大幅1600mmであり
    まさかアコードクラスのクルマと最大幅が同じとは知りませんでした。
    改めて仕様1600mmを確認したら間違いありませんでした。
    車内幅1360mm?の半分680mm/人のスペースを、私のパソコン前の椅子で測って座ってみると、
    私の低い身長でさえビザの前に人が通る隙間はありません。
    吉川文夫さんの記事によれば、
    両側のシートに人が座ってしまうと中央の通路はなくなってしまうとありました。

    ところで、先日某大学の講演会で最新鋭会場のシートに座ると、
    前席の背板までのスペースがちょうどこの程度の感じで人が移動する隙間が全くなしでした。
    5人が横並びに座ったらとても通路に出れません。
    今でもこんな狭いシートの驚きの発想がいきているんですね。

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  4. #9999さん
    国鉄列車に乗って地方私鉄の「電車のりば」の看板とホームが見えると異常に興奮したものです。
    1964年頃の花巻駅には軽便電車がたくさんいてまだ賑わいある楽しい時代でした。
    この後、数年でマイカーやトラックの時代に変りましたね。

    山裾へまっすぐに延びる廃線跡とは花巻温泉に向かう鉄道線と思います。
    花巻駅を出てカーブしたその先はどこまでも見事な一直線でした。
    昔から線路を敷く上で何も障害になるものは無かったのでしょう。

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  5. Google Earth で確認してみましたが、田んぼの中を山裾へと向かっていたのは鉄道線ですね。
    軌道線の方は注意して見たことはありませんでした。
    あらためて軌道線の廃線跡を Google Earth で辿ってみましたが、道路脇とはいえ
    よくもまあこんな山奥まで路線を敷いたものだと感心します。
    やはり乗っていて楽しかったのは車窓の変化に富んだ軌道線の方だったのでしょうね。

    見知らぬ鉄道を訪ねる時の興奮感は私も同じです。目的の駅が近づくと急に窓の外を
    きょろきょろしだし、浮足立った想い出がいくつもあります。
    大概は遠くからへろへろの線路が近づいてきて、やがて並走し、列車が駅のホームに滑り込むと、
    白黒でしか知らなかった世界が現実のものとして跨線橋の向こうに・・・。

    出発の前日は殆ど眠れず、お袋のにぎり飯をバッグに詰め、まだ明けきらぬ道を駅に向かう。
    寝不足でぼんやり聴いたNHKラヂオ放送開始のオルゴール(実際はチェレステだとか)が、
    私の心象音楽?となっています。

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  6. #9999さん
    軌道線と鉄道線で車窓の楽しさは格段の違いで、
    鉄道線には軌道線のインパクトがありませんでした。
    地方私鉄路線の魅力は車両と沿線風情によるところが大きいですね。

    見知らぬ鉄道を訪ねた時の、夜行列車で到着した夜明け前の駅、片隅にある貧弱なのりば、訪問して初めて判明した車両などなど私もドキドキ感でした。
    情報化社会、交通手段の便利さ、車両や沿線の変貌などにより今では国外にでも行かないとこういう感激は味わえないと思います。豊かな時代になる前のモノや情報のない時代ゆえに楽しめた感激であったと思います。

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  7. 本当に…昔は国鉄の駅ごとにワクワクしたものでした。
    個人的な例ですが、長野県内での上田丸子や長電、富山地鉄、石川県に入って北鉄各線…今思い出しても、その土地ごとのカラーの違いや、乗り換え駅の表情や個性のバリエーションが楽しかったです。
    北陸鉄道なんて、寺井駅に急カーブで入る能美線新寺井駅、国鉄小松駅に直角に横付けの小松線、加南線なんて、動橋の駅に斜めに横付けされた新動橋駅、大聖寺から大きくカーブして国鉄と分かれていく山中線、河南の駅に近づくと、山代方面からの線路が寄ってきて……おっとすみません、つい懐かしくて個人的な思い入れが強調されちゃいました(笑)。 
    自分でも北陸鉄道ヲタクだと思っていますが…とにかくあの頃は、駅や車両の百花繚乱ぶりが楽しかったです。

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  8. esehokuさん
    北陸一帯の私鉄路線は特に賑やかでしたね。
    北陸鉄道の各路線、京福電鉄の各路線、福井鉄道の各路線など、
    交通公社の時刻表に私鉄路線網がビッシリ表示されていてもごく一部しか情報がありませんでした。
    時刻表を頼りに現地に行ってみないとどんな車両が走っているのか分からない路線ばかり、
    福井鉄道の支線などあんな電車がいたとはネット時代になるまで知りませんでした。
    今では各社の支線は一掃されて残るは本線のみ。
    北陸一帯の全ての支線に乗ってみたかったものです。

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