↙ 軌道線
ガラガラの電車が中央花巻を発車し右へカーブする.
花巻、西鉛温泉行の軌道線はここでスイッチバックする.
西花巻駅の客車付け替え風景.
軌道線(花巻~西鉛温泉)はこの西花巻でスイッチバックする。写真は西鉛温泉方面からドアまで客を満載した上り列車がやってきたところで、満員の客を乗せたままここで客車を付け替えて花巻方面へと向かう。右手にはバス営業所がありボンネットバスがたむろしていた。
花巻へ向って発車した軌道線の電車.
満員の客を乗せた電車が到着すると、客車を切り離し、機回り線を使って付け替える。ホームではお客がその作業が終わるのを待っている。この翌年、西花巻~中央花巻間が廃止され、その後スイッチバックのY字の線路配置も消滅した。
花巻から下りが到着. 西花巻
わざわざ電車を付け替えてスイッチバックする・・・。
返信削除ゆるやかな時代は良いですね。
でも大型バスも現れて、実際は やっぱり 慌ただしい時代だったのでしょうか?
私はその時代に居なかったので、想像するしかありませんが・・・。
いつも貴重な写真 楽しまさせて頂いております。
にわとりさん
返信削除この1964(昭和39)年頃は戦後の日本が変わる節目であったようです。
衰退の一途であった地方私鉄の中にあって軽便でさえ活気ある路線がありました。
それが一気にバスやトラックに置き換わり、生き残った路線もヨレヨレになっていく。
やはりクルマの普及と各地の道路整備が急速に進んだおかげでしょう。
鉄道だけでなく戦後の日本の風景が様変わりしていた時代でした。
中央花巻への路線は、東北本線の電化に伴いオーバークロスする橋脚の嵩上げを迫られたのが
返信削除廃止理由と聞きました。
この時代は開発の波の陰でひっそり消えていった私鉄や路線が相つぎ、生き延びた私鉄も
車両の更新が盛んに行われ、地方私鉄が一気に色褪せて行った時代だったのですね。
私が撮影を始めた昭和40年代は、訪問する先々で「私鉄車両めぐり」とのギャップを
目の当たりにし、消え去った良き時代への想いを模型に反映させていった方も多いのでは
ないでしょうか。
今は作りもしないで郷愁だけを募らせています。
#9999さん
返信削除岩手軽便と共用した中央花巻駅はもっと街中にあったものが、釜石線(岩手軽便)が改軌で別ルートになって花巻電鉄の中央花巻駅は中途半端な位置に移動したそうです。オーバクロスの嵩上げの話がなくても消えて当然の盲腸線であったと思います。ここから乗る客は少なかったことでしょう。
鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」は昭和35年12月に第1分冊から発売され、昭和43年7月号の第9分冊まで購読しましたが私にとってはこれが実に良いタイミングでした。ここで紹介された路線は次々消える時代であり記事を読んでは出かけることができました。そして私にとって今欲しい路線情報は撮影した時代だけでありこの時の「私鉄車両めぐり」はなくてはならぬ情報源になっています。
そんなわけで「私鉄車両めぐり」記事と実物のギャツプは私は殆どありませんでしたラッキーだったのですね。
自分の存在しない時代の情景ですが、素晴らしいですね。
返信削除いつもありがとうございます。
当時はお客さんが多かったことに驚きます。
なんとか生き残る方策は無かったのかな、と思ったりしました。無かったんでしょうね。
てつよしさん
返信削除ありがとうございます。
あの頃はローカル私鉄を廃止し並走するバスに切り替えるのが時代の流れでした。
どこもバス部門の方が大きくなって来て時代の流れには逆らえなかったでしょう。
鉄道部門生き残りをかけて懸命に努力した路線ほど最後の時代が悲惨でした。
早々とバスに切り替えた路線は元気なままスパット消えてしまったので
乗客溢れる元気な光景だけが印象に残ります。
花巻は昭和43年夏に訪問しましたが、鉄道線は朝は3連、軌道線もほぼ全列車トレーラ-牽引で満員状態でした。沿線の道路が舗装されたところであっさりと消えましたが、仰るように元気なままスパッと消えた感じです。
返信削除Cedarさん
返信削除Cedarさんの訪問は昭和43年夏でしたか。
この頃は軌道線廃止の前年ですがやはり活気があったのですね。
私が二回目に訪問した昭和41年3月も朝の軌道線はトレーラ2両を牽いて満員でした。
未舗装の道路にはクルマが僅かばかりいて道行く人の姿が見れました。
奥山線、仙北鉄道なども花巻と同様活気があるまま消えてしまいました。
岩手中央新報の立て看板は昭和50年代まで残っていたような記憶があります。確かこの十字路をこのまま進むと、角に「賢治最中」の本店に出るところであったと思います。間違いがなければ、ここに公衆便所が設置されていて、現在はこぎれいになっています。
返信削除西花巻の駅はもっと西寄り、今の税務署か消防署のあたりだと思います。当時は税務署と消防署の間に道路がありませんでしたから、もしかしたら今の道路のところだったかも。微かな記憶ではホムが東西ではなく南北に延びていたような・・・
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