昭和40年代初めころまでどこの路線でも地方私鉄の魅力は車両にあった。ところがそれまで生き延びてきた驚きの車両達は次々と消え車両の魅力を失っていった。
福井鉄道は後年まで本線福武線に昭和の電車の魅力を残していたが、支線である鯖浦線(1973年全廃)や南越線(1981年全廃)を走っていた強烈な個性の車両写真を見てしまうと、本線の車両(今ではなく昔)はどれも当たり前過ぎてインパクトのない車両に見えてしまう。
撮影日:1964.10.04 撮影:故田辺多知夫氏
福武線水落駅から鯖浦線の織田行が発車する モハ11
水落駅の先にある留置線に休む小型車モハ60形63(福井市内乗入れ仕様)と後ろのモハ72
隣の木造Wルーフはモハ12
隣の木造Wルーフはモハ12
鯖浦電気鉄道発注車モハ70形72(鯖浦線専用車)
まるでマンガか模型に出てくるような元単車→ボギー化した驚きの小型車
鯖浦線発注車モハ50形51 南越線に移動後 社武生
鯖浦線発注車モハ40形41(福井市内乗入れ仕様) 西武生工場
福井鉄道には、14年前に初めて乗り、福井駅前と武生新(現・越前武生)の間を往復しましたが、200型などのステップの付いた高床式2連の車両が主力だった当時でも、すでにかなり近代化されたという印象で、その後名鉄岐阜地区からの路面電車型車両にほぼ総入れ替えされ、ホームも「かさ下げ」された今となっては、広電宮島線に近い「準路面電車」といった雰囲気に一変してしまったといったところでしょうか。写真に出ている水落駅は、"You Tube"などに出ている動画を見ると、駅舎も何もかも綺麗さっぱりなくなってしまって、交換設備だけは残っているものの、田園地帯の真っ只中の寂しい無人駅になってしまっているようでした。
返信削除鯖浦線の終点があった織田町には、20年前に敦賀に泊まり、越前海岸などを回ったときに訪れたことがあるのですが、電車が走っていた面影はほとんど見つかりませんでした。織田町は、織田信長の祖先の発祥地といわれているそうで、織田家ゆかりの「剣神社」という古い神社が残っています。
伊豆之国さん
返信削除鯖浦線も小型車両もすべてが消えてしまいましたね。
この写真が撮影された昭和39年10月はちょうど東海道新幹線開業で東京オリンピックが開催された時でした。日本の高度成長期も次ステップへ飛躍する時代で写真の鯖浦線、福武線も様変わり直前だったようです。その後の昭和40年代は華やかな福井鉄道の時代も終わっていたのでしょう。
今では低床式の電車が主体となった福武線、今も高床式の200型が走る風景は大変貴重ですが、昭和39年当時の福井鉄道で200型はあまりに平凡過ぎて写真の掲載をやめました。それくらい当時の福井鉄道の小型車両他にはインパクトがあったと思います。
鯖浦電鉄の癖のある小形車は、亡き父が南越線社武生で撮った写真に写っていました。40形などはちょっとアメリカンな香りもありますね。水落の側線で撮った木造ダブルルーフなのに前面窓がHゴム化されたモハ11も写っていました。
返信削除あとお恥ずかしい話ですが、かなり最近まで鯖浦線は『さばうらせん』だと思っていました。
あーあ、また文字認証がえらく面倒です!ワザと何度か失敗して簡単な文字が出ましたが…
私はロボットでもいいのでアホなシステムやめて!
感動的な電車と風景の連続ですね!
返信削除どれも模型にしたいです。
Cedarさん
返信削除貴ブログに社武生にいたモハ40型43が写っていますね。
鯖浦線から南越線に移動した後なのでしょう。
本ブログの写真にあった木造Wルーフモハ12は前面鋼板化する前でした。
モハ11は12と同形だったのでしょう。
Chitetsuさん
返信削除鯖浦線生え抜きの電車、私は全く知りませんでした。
これら小型電車の魅力を模型で見てみたいものです。
昔13mmゲージを走るこんな小型電車にそそのかされて13mm用車軸を買ったことがあります。
これくらい小さな電車になると13mmゲージが堪らない魅力であった記憶があります。