2014年8月9日土曜日

模型資料 栃尾線の客車2

小坂から来た客車
昭和38年に同和鉱業小坂鉄道から来た客車ハ2、5~8の5両は、翌年3月に小坂の車番のまま栃尾線の加津保駅や長岡車庫に留置されていた。このアメリカンタイプの客車は軽便としては珍しく、大きさ(車体幅、全高) は栃尾線のダブルルーフ客車と同程度なのに、かなり大きく見えたのは腰高のせいだろうか。
5両は一度も使われることなく台車の部品流用で終わってしまったようだ。


加津保駅の小坂から来た客車     1964.03.22

加津保駅に3両留置されていた小坂から来た客車

アメリカンタイプの元小坂の客車ハ7

ダブルルーフの造り

長岡工場に2両留置されていた小坂から来た客車


軽便には珍しい台車. 軸距1230 車輪径560φ(実測)
これと対称的な腰の低いカマボコ客車ホハ20の腰高さは520 しかない。
地を這うような客車から腰高の客車まで、模型化で軽便らしさを出すには
いかに千差万別の腰高さを正確に捉えるかにかかっている。


ホハ23(元江ノ電) を改装したクハ111の台車に化けた小坂の台車. 1975.03.08


ホハ23(元江ノ電) → その後クハ111へ改装  1964.03.22


クハ111   1975.03.08

6 件のコメント:

  1. 私の少年時代は、まさに各地の「軽便」が、急速に普及してきた自家用車に太刀打ちできず次々と姿を消していったその頃。その中で電化路線である栃尾線は、近代化が進んだ軽便として知られ、割と遅くまで残っていたのですが、所詮は「軽便」、上見附のスイッチバックを初め、カーブも多く栃尾まで行くのにはかなりの大回り。道路の整備が進み、電車よりずっと早く行けるようになれば、さしもの「闇将軍」氏といえども「これでは存続は難しい」ということになったのでしょうか。結局私も栃尾線は見ることもなく消えて行きました…。栃尾市も、最近長岡市に合併されてその名が消えてしまいました。
    私が長岡を訪れたのは、昭和62年。長岡駅からのバスで、郊外の山中にあった一軒宿の旅館に泊まったのですが、そのバスに乗り合わせた客が「あそこが駅の跡」と話していたのが聞こえて、そこが「悠久山駅の跡」だということを思いがけず知ったのでした。その旅館は、中越地震で倒壊し、温泉の設備も修復できず、廃業のやむなきに至ったということで、女将さんの話は新聞記事にも載っていました。
    写真に出ている、江ノ電から来た111号は、江ノ電に来る前は八王子から高尾山の麓まで走っていた「武蔵中央電鉄」の車両でした。武蔵中央電鉄は、経営が思わしくないまま、昭和14までに早々と消え、そのうちの1両が江ノ電に行ったのですが、元々車体の幅が狭くて江ノ電では使いづらく、その「車体幅が狭い」ということがかえって「軽便」の栃尾線から目をつけられることになって、引き取られることになったらしいです。

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  2. 伊豆之国さん
    栃尾線は長岡~上見附間だけを発展させたら良かったのでは、なんて勝手に思っています。
    クルマ社会による過疎化の弊害からクルマ無しで生活できるコンバクトシティへ向かっている今の世の中、
    ハイテク化した狭軌コンパクト路線は良いと思うのですが。
    高速化も遠距離も不要、ただただ高齢化社会、少子化社会に便利で快適な新鉄道が登場し地方の活性化に役立って欲しいものです。

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  3. 何で軽便のイコライザー台車は、電車の動力台車まで普及しなかったのでしょうか?

    1067㎜では普通に釣り掛けモーター載せて使って居るのに。
    それが日本のナローを見る都度思います。

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  4. 宵闇さん
    軽便の電車で何故イコライザー式の台車が普及しなかったのか? 私もよく判りません。

    ただ製造上の都合で、軽便は1回の製造台数が少なくその工場の保有設備で製作できる様々な構造が採用された面があったのではないでしょうか。
    板台枠台車などはその1事例と思います。
    鋳鋼・鍛造など型物なんて手が出ない零細工場でも板金細工なら出来そうです。

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  5. katsuさんへ
    1960年に加津保駅の側線で凸電の廃車体を見かけたのですがもうなかったですか?
    足回りは1B1でどう見ても元は草軽のL電でした。

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  6. 車楽齋さん
    1964年の加津保駅の側線は小坂の客車だけでした。
    あの2両の凸電(1両は元草軽)は既に廃車になっていたのでしょう、見掛けませんでした。
    この凸電には草軽L電以上に魅力を感じてしまいます。
    私は1962年から撮り始めましたので1960年は手が出ない世界でした。
    この頃の僅か数年の差は大きいですね。

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