ワフやトフをくっつけた貨物列車の後追いは郷愁を誘います。戦後の復興期から、多くの大手私鉄で川砂利輸送が行われていましたね。それぞれに個性的なトフがしんがりを務めていましたが、オリンピックを機に川砂利採取が禁止になり、トフの出番は劇的に減りました。ヨーロッパの古い無蓋車に見られる、車端に手用ブレーキ手用のデッキと覆いを設けた "トフもどき" は一般的ですが、日本では貫通式の空気ブレーキが普及した後も生き残ったのは、簡易車掌車という意味合いがあったものと思われます。凸トフは日本独特のものです。幸運にも相模鉄道のトフが1両だけ保存されています。
#9999さん確かにあの頃は大手私鉄でも砂利輸送がよく行われていました。小田急の貨物列車もありふれた日常風景で殆ど無視してしまいましたが、いろんなタイプの電機がいて変化に富んでいました。今では小田急にこんな貨物列車が走っていたのが不思議に思えます。小田急のこのトフは模型を作ったくらいで日々よく見掛けて馴染んでいました。
小田急の貨物列車は砂利列車、東北沢のホッパーに入って行く姿は今では幻想だったかと思います。それほどに沿線が激変しましたね。
Cedarさん東北沢の先に砂利ホッパーがあったという認識はないのですが、おぼろげな記憶があるような無いような??幼い頃から新宿までよく乗っていたので車窓に見ていた筈ですが、遠い昔のことで記憶が飛んでしまったようです。まさに幻想です。
東北沢の新宿寄り、新宿に、むかって右手でした。開業時からあったようです。
Cedarさんネットで調べたら貨物列車とホッパーが写った写真がありました。http://rail.hobidas.com/photo/archives/2006/03/10311900_1.htmlこの区間の立体工事が開始される1972年まではこの砂利ホッパーの側線が存在していたそうでね。私も見ていた筈ですなのに、どうしても思い出せません。
ワフやトフをくっつけた貨物列車の後追いは郷愁を誘います。
返信削除戦後の復興期から、多くの大手私鉄で川砂利輸送が行われていましたね。
それぞれに個性的なトフがしんがりを務めていましたが、オリンピックを機に川砂利採取が禁止になり、トフの出番は劇的に減りました。
ヨーロッパの古い無蓋車に見られる、車端に手用ブレーキ手用のデッキと覆いを設けた "トフもどき" は一般的ですが、日本では貫通式の空気ブレーキが普及した後も生き残ったのは、簡易車掌車という意味合いがあったものと思われます。凸トフは日本独特のものです。
幸運にも相模鉄道のトフが1両だけ保存されています。
#9999さん
返信削除確かにあの頃は大手私鉄でも砂利輸送がよく行われていました。
小田急の貨物列車もありふれた日常風景で殆ど無視してしまいましたが、
いろんなタイプの電機がいて変化に富んでいました。
今では小田急にこんな貨物列車が走っていたのが不思議に思えます。
小田急のこのトフは模型を作ったくらいで日々よく見掛けて馴染んでいました。
小田急の貨物列車は砂利列車、東北沢のホッパーに入って行く姿は今では幻想だったかと思います。それほどに沿線が激変しましたね。
返信削除Cedarさん
返信削除東北沢の先に砂利ホッパーがあったという認識はないのですが、
おぼろげな記憶があるような無いような??
幼い頃から新宿までよく乗っていたので車窓に見ていた筈ですが、
遠い昔のことで記憶が飛んでしまったようです。
まさに幻想です。
東北沢の新宿寄り、新宿に、むかって右手でした。開業時からあったようです。
削除Cedarさん
返信削除ネットで調べたら貨物列車とホッパーが写った写真がありました。
http://rail.hobidas.com/photo/archives/2006/03/10311900_1.html
この区間の立体工事が開始される1972年まではこの砂利ホッパーの側線が存在していたそうでね。
私も見ていた筈ですなのに、どうしても思い出せません。