2013年7月22日月曜日

草軽電鉄 保存されたジェフリーNo.13

現在、軽井沢駅前に保存されている草軽のジェフリー製デキ12形No.13は、草軽電鉄の新軽井沢側廃線から6年が経った1966年に国鉄中軽井沢駅に近い中山道沿いに置いてありました。
今の軽井沢中学のグラウンドの外れ一段下がった辺りで、背後に見える建物が今の軽井沢社会体育館なのかもしれません。機関車に屋根等の付帯設備は一切なく注意書き立看板のみで、木立ちに囲まれひっそりと置いてありました。この後、軽井沢町中央公民館の駐車場に移動され、新幹線開業後に更に現在の位置に移動されたそうです。

デキ12形No.13 中軽井沢 1966.08.19

何故か13の表示が無かったが、詳細に採寸したメモの中にNo.13であることが記録されていた.
フレーム前後の埋込みボルト10本の頭の向きが全て軽井沢駅前の保存No.13と一致している.
塗装は白っぽくなったマルーンでホコリ?で黒に近かった.

全景

木立ちに囲まれてひっそりと休むNo.13.

現役時代のNo.13

6 件のコメント:

  1. この時代の、ポツンと中学校横に追いてある本機を信越線の車窓から見つけて以来、何時無くなりはしないか?と、軽井沢を通る度にずっと気にしていました。今は良い居場所を得ていますね。(信越線すら過去なのですね〜!)

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  2. lodgershinmeishrineさん
    私も何時無くなるのか不安で、No.13が目的で信越線鈍行に乗って中軽井沢へ会いに行きました。
    半日かけて細部まで採寸したのですが、その後必要ならいつでも計測できたので無駄な作業でした。草軽の形見は大切に保存されているようで嬉しいものです。

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  3. 40年近くの時を経て、長かった疑問が解けました。もちろん草軽の現役時代には間に合わなかったわけですが、昭和50年頃から何度も廃線跡調査なるハイキング?に行きました。まだ駅舎や廃車体もけっこう残っておりました。

    その頃「デキは2両保存されている」という話があり、それを信じて必死に13号以外の存在を探しましたが、とうとう見つかりませんでした。当時そう信じさせた写真があり、それがまさしく今回のお写真にある中軽井沢駅そばの街道沿いのデキだったのです。お写真からも番号が消えていることが再確認できましたから、勘違いしても仕方ありませんが、番号の無い保存機がもう一両どこかあると幽霊を探してたわけですから、今になってその答えがわかると何とも滑稽なる思い出であります。

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  4. Namikiさん
    いつも楽しいお話ありがとうございます。
    私もこのデキは他にも何両か保存されているものと思っていましたが、保存は13号のみであることを始めて知りました。
    1966年に中軽井沢に置いてあったデキは完全に番号が消えていましたが、私は実車の何かを見てノートに13号としっかり書いてありました。ちなみにこの時の13号の写真と現在軽井沢駅前に保存されている13号で一致する特有の変形箇所がありました。
    昔わざわざ撮りに行った写真がお役に立てばうれしい限りです。

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  5. 次々と出てくる草軽の写真に興奮しっぱなしです。
    この保存されたデキは、確か鉄道ファン1965年の9月だったか11月だったかに、小さく記事が出ていました。
    中学1年の時、古本屋でその記事を見つけた時は、もう天にも登る気分でした。ちょうど東金へ行った頃のことです。

    長日向での写真もたいへんよい雰囲気ですね。
    機関車の天を向いたヘッドライトは何を照らしたのでしょうね。
    この時の8ミリ映像はどうなったのでしょうか?。

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  6. 鉄道青年さん
    中軽井沢の保存デキは1965年の鉄道ファン誌に紹介されていましたか。私が訪問した1年前で、たぶん私もこの記事を見ていたでしょう。1966年に見た保存デキは大変綺麗な状態であり、鉄道ファン誌に紹介された頃にあの場所に設置されたのかも知れません。

    兄が写ったあの写真の場所は長日向でしたか、撮られた兄も場所を覚えてなく、これでやっと長日向と判明しました。島式ホームや物置小屋のような駅舎が確かにプレス本と一致しています。この時の8ミリ映像は残念なことに何回かの引越しで紛失してしまいました。
    ちっぽけな車体に装着されたあの巨大な取り外し式ヘッドライトは、有りなしでえらくイメージが変わるものですね。デキ保存機が現役時代と何かイメージ異なるのはヘッドライトが着いていないせいですね。

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