井の頭線の富士見ヶ丘で撮ったこの1枚。無残な2つ目ライトで全く関心が無かったが1403の経歴を調べてみるとこれこそは帝都電鉄モハ100形のなれの果てのようである。ライトを1っ目に戻し運転席窓ヒサシを付けたアンチクライマー付の前パンタ車を想像すると、何かで見たあの郊外電車の姿が目に浮かぶ。
デハ1403 富士見ヶ丘 1964年8月
永福町車庫の空襲で被災しなかったデハ1400・1450形3両が2代目1401~1403に改番されたそうだ.
その後の2灯化、ヒサシ撤去などの改造で本来の姿を失った.
デハ1403の編成に組まれたサハ1303も過去の遍歴が大変に複雑.
元祖は帝都電鉄モハ200形のようだが.
元祖は帝都電鉄モハ200形のようだが.
サハ1562
富士見ヶ丘の風景. 1964年8月
検車区が永福町から富士見ヶ丘へ移転される前で留置線があった.
小田急デユニ1002+デニ1101. 1962年9月 喜多見-成城
1960年にデユニ1002はクハ1551の車体に乗せ換えられた.
このデユニには小田急青電デハ1501+クハ1551(旧帝都所属車)時代の帝都スタイルの面影があった.
井の頭線のでは1400は京急230とならんで好きな電車でした。東急や小田急よりも窓が大きかったからでしょうか?
返信削除高尾線開業時のローカル用に1800+1400の2連が転属した際には、撮影に行きましたし、この編成をペーパー自作で模型化しました。
何処までもマイナー好きなものですから。
Cedarさん
返信削除そうでしたかお好きな電車だったんですね。
私はあの2灯化外観で関心を失っていました。
この電車京王線へ転出したのですね。
それにしても井の頭線の電車の経歴はあまりに複雑で胃が痛くなりそうです。
帝都電鉄の生き残りの1400型、ハンサムな電車でしたね。
返信削除私が知っているのは二つ目玉だけなので、こんなもんかと思いましたが、好き嫌い別れる変な改造ですね。
chitetsuさん
返信削除井の頭線で帝都の生き残りのことは私は全く知りませんでした。
井の頭線から転出して小田急1500形2連となった青電は印象深かったです。
これも帝都の生き残りらしいですが角ばった小田急に対し全体の丸みが美しかったです。