京王電鉄井の頭線 浜田山-西永福 2013.06.08
井の頭線の沿線が紫陽花のシーズンとなった。
数年前までは2枚窓レインボーカラー車3000系が盛んにやってきたが2011年12月で全廃となり、今ではすっかり新型に統一されている。
京王グリーン車デハ1800形(1804) 富士見ヶ丘-高井戸 1964.07.02
京王グリーン車デハ1000形(1001)
1962年に登場したレインボーカラー車3000系(3702) 1964.07.02
3000系(3704)
3000系(3701) 富士見ヶ丘-高井戸
井の頭線に限りませんが、通勤通学で使った大手私鉄路線など、正直気持ちの上で熱心な撮影対象にはなりませんでした。日々消え往くSL、個性ある地方私鉄、現地に行くまで実態不明のナローなどに比べ、あまりに日常的な存在であり過ぎました。
返信削除そんな日常生活そのものの大手私鉄の古き車両や景色たちが、この歳になってから、とてつもなくいとおしい存在に感じられます。平凡に思われた日々の風景も、今あらためてお写真を拝見すると、どれもこれもまぶしい個性を主張しています。確かに当時目にした風景であるはずなのに、どうしてその時には何の感慨も無かったのでしょうか。
あの頃はただぼうっと車窓ごしに見ていた当たり前の平凡な風景だったからこそ、こうしてあらためてお写真で拝見することで、郷愁感がいっぱいになるのかもしれません。
今も昔も、地味でのんびりした井の頭線…他線との直通が無いせいですね。東急池上線と同じで、昭和の東京の郊外電車の風情が残っています。
返信削除Namiki さん
返信削除今の時代の変化があまりにも早いせいなのか、50年前の平凡な日常風景の感じ方がここへ来て急速に変化している気がします。この先数年もたつと更に感じ方が変わるのでしょう。Namikiさんがコメントに書かれた「当時の当たり前の風景にどうしてその時に何も感じなかったのか」これは私も全く同感です。
井の頭線などは通学で毎日使っていたのに見向きもしない最たる鉄道でした。50年前のごくありふれた井の頭線風景はネガに埋没したまま無視でしたが、こんなものでも郷愁を感じていただければブログにアップした甲斐があります。
Cedarさん
返信削除他線との直通がない井の頭線や池上線の純血路線。地上駅で踏切だらけの井の頭線、私はこんな東京の郊外電車が私鉄らしくて好きです。
直通運転の長大編成は何か攻撃的なものを感じてしまいます。井の頭線は地味ではありませんよ? と云って派手ではないですがお洒落でファッショナブルな路線です??
この付近にはNHK富士見ヶ丘クラブハウス(1954)という戦後木造モダニズムの傑作として知られる小さな名建築が現存していますが、富士見ヶ丘駅周辺の変化もかなり顕著なようにみえます。お写真の奥にみえる集合住宅もほぼすべて建て替えられてしまっていて、1964年当時の建物はおそらく現存しないのではないでしょうか。それから(やがて始まる激烈な変化を予告するかのように)架線柱のなかに一本だけPC柱が利用されていることが興味深くおもえます。
返信削除井の頭公園内のこの場所は現在でもあまり変わっていないのではないでしょうか。公園駅の構内踏み切りは消えてしまいましたが。
Tosiさん
返信削除富士見ヶ丘駅周辺も個々にはかなり変化しているようですが、井の頭線沿線は他線のように極端な変貌がないのが静かな住宅地を行く世田谷線と似ていますね。
写真の富士見ヶ丘~高井戸間は今でも土手と木立ちがあって昔の面影をよく残していると思います。
井の頭公園で大きく変化したのは公園の木立ちで、昔の写真を見ると殺風景な風景でした。それがいつの間にか緑豊かな井の頭公園に。
たしかに、地上にとどまっている駅施設はじめ、小田急線と比較すれば激烈とまでいえる変化はないかもしれません。私の場合、とくに下北沢-吉祥寺間はあまり利用する機会がなく、車窓風景などもふくめて漸進的な変化を日常的に追っていないせいで、たまに利用するときには、記憶のなかの1970年代前半頃との相違にばかり目を奪われてしまうのかもしれません。
返信削除それから、井の頭公園の東端、公園駅よりのほうは(かつても現在も)植栽が少ないという思い込みをなぜかもっていました。構内踏み切りから地下通路への変更は1970年代末か1980年代はじめだったような気がしますが、これも記憶違いかもしれません。
さきほどのコメントのあとで気がついたのですが、複数の駅での駅舎の橋上化を考慮に入れると(完全な誤りではないにしても)厳密には「地上にとどまっている駅施設」という表現は正確ではなかったかもしれません。
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