更に道玄坂を下って東横百貨店西館内の渋谷駅までを
当時と、44年後の目まぐるしく変貌する今の渋谷とを比較してみます。
銀座線の留置線と商店街裏の間を東横百貨店西館へ向かって下る.
前方にラウンド状した東横百貨店西館が見える.
渋谷マークシティが建ち、その内部に銀座線の留置線が飲み込まれた.
前方に渋谷ヒカリエがそびえ建つ.
道玄坂を下るとそこが渋谷駅.上に銀座線の留置線が見え今はマークシティビル内に収まっている.
東横百貨店西館に頭を突っ込んで行止まりとなる渋谷駅.1969.04.22
この先40、50年後は更に変貌を遂げ、こんな写真もきっと懐かい風景になるのでしょう。
2013年2月
全く渋谷の町はどこまで変われば気が済むのか。。と思います、自分たちが作った街だから壊すのも勝手だと、T急さんは思っているのでしょう。やれやれ
返信削除Cedarさん
返信削除壊しては作り直す渋谷は
えらい新陳代謝が激しい街ですね。
永遠にこの繰り返しは停止することがないでしょう。
50年くらい後は一体どんな風景になっているのでしょうか。
先日久しぶりに東急東横店を覗いてみました。
返信削除ここの下に湘南新宿ラインが走るなんて今のところ想像がつきません。
10年後はどうなっているんでしょうか?
chitetsuさん
返信削除渋谷駅の東側にある東急東横店東館、東横線渋谷ターミナル、のれん街など全て取り壊して、
埼京線を走らせ、その上に高層商業ビルを建てるようです。
ビルとビルの間の渡り廊下にある銀座線ホームなんかはどうなるのか?
一変してしまうのでしょう。
私の幼少時代、身近な盛り場といえばなんと言っても渋谷。なじんできた「玉電」渋谷駅の風景は、今も昨日の出来事のように脳裏に蘇ってきます。たった1-2両の短い電車発着するだけなのに、やたらに長いホーム、そしてポイント切り替えのガチャガチャという機械音。行き先表示の電光板も、当時のようなタイプのものは今では残っているところはもうほとんどないてしょうか。渋谷駅を出て急坂を登って行くその横に並んでいる銀座線の黄色い電車も、今となっては懐かしい思い出です。この玉電渋谷駅も、つい近年までは一部のバス(大井町か五反田行きと、東急本店への送迎バスだったと記憶しています。以前は高速バスも出ていたようでした)が発着し、バスのためのターンテーブルも造られていたのですが、この「玉電」名残の風景も、マークシティの建設で跡形もなく消えてしまいました。そして今度は東横線の地下化で「東横デパート」東館も…。
返信削除伊豆之国さん
返信削除私は東急沿線住民ではなかったのでそれほど渋谷には思い入れは無かったのですが、
いざ無くなるとなると消えゆく渋谷の風景に思い出が1つ1つ消えていくようです。
戴いたコメントで私も懐かしい「玉電」渋谷駅の風景がよみがえってきます。
渋谷の再開発で昔の名残の風景は跡形もなく消えてしまう、は正にその通りですね。
これから先も劇的に変えてしまう渋谷駅は、改めてみると継ぎ接ぎだらけの駅 ( これが好きだったのですが )
を今の時代に残してきたような気がします
皆さま、こんばんは。
返信削除先輩方の書き込みを拝見し、懐かしくってオジャマ虫がまた出て来てしまいました。(苦笑)
管理人さま、またまた懐かしい「玉電」作品をありがとうございました。
撮影された4月22日ですが、調べましたら火曜日でした。
当時、私は高校2年生に成りたての16歳で、通学でお隣の井の頭線に乗り換えて利用していました。
恐らく撮影された日も利用していた筈です。(撮影時間帯は何時頃だったのでしょう?)
毎度細かな話題になりますが、書き込みついでにもう少し書かせて頂きます。
上から3枚目のお写真、右の線路上に何故か人が写っていますが、
上の道玄坂上から下って来た電車は、丁度人が立っている場所付近で全ての電車が必ず一旦停止して、再度手前のホームにゆっくりと滑り込んでいたんですよ。
終端部に激突させない為の策だったんでしょうね。(終点の二子玉川園駅でもそうでした)
それと出発(下り線)側の話しですが、ご存知かと思いますが、二子玉川園行(単行か単行+単行)が停まっている場所が二子玉川園行の乗り場で、
手前が下高井戸行(ほとんどが「連結二人乗り」)の乗り場と決まっていました。
(二子玉川園行と下高井戸行は、交互に出発するよう運行を調整していました)
で、両者が「上通」に向けて出発する際ですが、
二子玉川園行乗り場のおよそ5mほど先で、一旦停止させて、坂の上の道路信号の「青」に合わせて出発させていたのです。
その際運転士は、「反応信号機」の白いランプの点灯を確認してから、
『反応進行!』と喚呼してから電車をスタートさせていたんです。
スタートしてからおよそ1分ほどで坂の上の交差点に差し掛かかり、丁度そのタイミングで交差点の信号機が「青」に変っているんです。
上り坂の途中で電車を停止させないための策だったのだと思います。
(再スタートには、時間を要するからだと思います)
こんなつまらない話ばかり、毎度長々と失礼致しました。
YamaChanさん
返信削除写真の日付けは面白いもので、他人が撮った40年以上昔の写真の日付に、その日その時私もそこに! と飛び上がったことが何回かあります。玉電の渋谷駅を撮った1969年4月22日は時間が判りませんが、渋谷から撮り始めたので午後ではないかと思います。
いろいろと玉電の楽しい逸話をありがとうございました。さすが玉電沿線住民ならではで、私の知らないことばかりです。線路の上に人が立っているのは何かと思いましたが、そういうことだったのですか。
玉電の沢山の逸話をまとめられると面白いと思います。
1969年、中学1年生になり、ついに親戚のオバチャンからもらったカメラで今でいう「撮り鉄」デビューしたのが、くしくも5月11日、玉電のさよならの日でした。沼部駅近くに住んでいた私にとっては、渋谷(=東急百貨店)はよそいきの街で、年に何回かオシャレ?をして買い物に行くところでしたが、そこが私の鉄道趣味のルーツとなりました。大変懐かしく拝見し、はたまた、現在の変貌ぶりには驚くばかりです。
返信削除検査掛さん
返信削除遠い昔の思い出をありがとうございました。
おしゃれして渋谷の百貨店へ買物に行ったお話は時代を象徴していると思います。
私は狛江に住んでいて小田急に乗って都会の新宿まで買物に連れて行ってもらうのが何よりの楽しみでした。電車に乗る事が滅多になかった私の1950年代でしたが。