昭和39年の東京オリンピック開催に向けて駒沢まで国道246が拡張整備され、昭和40年はその先の駒沢~瀬田間の246の新道はまだ工事中であり、瀬田の交差点に昔の風景が残っていたのであろう。
昭和40年の瀬田の交差点と電停 1965.7.27 画像クリックで拡大
まだ国道246の新ルートが開通前のようで、交差点に歩道橋もなく駅やその周辺は広々としていた.
↓車が少なく電停周辺の道路上には人々が往来し、朝夕は道路に人が溢れたことだろう.
花巻電鉄軌道線や福島交通軌道線でよく見られた光景だ。
まだ国道246の新ルートが開通前のようで、交差点に歩道橋もなく駅やその周辺は広々としていた.
↓車が少なく電停周辺の道路上には人々が往来し、朝夕は道路に人が溢れたことだろう.
花巻電鉄軌道線や福島交通軌道線でよく見られた光景だ。
瀬田の交差点から併用軌道が坂へ向かう.
併用軌道から専用軌道に入ると坂を下る.
いやはや、瀬田はついさっきも通ってきましたが、この当時の面影はほぼありませんね。こういう画像を見るとその時代に間におっただけでラッキー!と思ってしまいます。
返信削除Cedarさん、大山街道で瀬田の交差点が最も激変したのではないでしょうか。
返信削除昔を知っている当時の子供達は今や還暦ですね。年はとりたくないものです。
Katsu様
返信削除>当時の子供達は今や還暦ですね。
あはは~、それはまさに私です!この頃の記憶はありますが、カメラは持っていなかったので頭の中にあっただけです。
はじままして! 良い写真をお持ちですね、自分はS36年に池尻で生まれ育ちましたので大変懐かしいです、ぜひシェアさせてください。
返信削除BJさん
返信削除はじめまして。
お生まれが池尻でしたか。
池尻は大橋車庫が近いですね。
S37年に大橋車庫の車両を撮りに行ったので
ちょうどその頃に生まれたばかりということに。
大橋車庫のこともいつかアップしたいと思っています。