2011年11月30日水曜日

会津線 会津田島

会津線の貨物営業は1982年に廃止となった。
当時の貨物列車の荷を見ると木材をけっこう運搬していたようで、会津田島の駅の周辺には木材が積み上げられていた。C11が休む山間の長閑な光景はいかにも国鉄ローカル線の風景であった。 あれから40年、会津鉄道に変身した現在の会津田島からは遠い昔に見た風景が全く結びつかなかった。

現在の会津田島駅  2011.11.22
駅に降りた瞬間、これが会津田島なの? 昔の長閑な光景は何もなかった.

会津田島  更に会津滝野原(現会津高原)まで線路が延びる.  1971.10.3

いつもC11が数量煙を上げていた小さな会津田島機関支区

駅の周辺に積まれた木材
会津田島駅

2011年11月25日金曜日

会津線 湯野上のC11

遠い昔に撮った湯野上近辺(モノクロ)を今の風景と較べてみました。
昔は標準レンズで撮ったせいだけでなく、自分の視野も狭くて湯野上駅の周りがよく見えなかった。

湯野上駅   1974.7.21  
現在の湯野上温泉駅はこちら


小野岳と阿賀川が流れる渓谷、絶景のポイントにある湯野上温泉駅.  2011.11.22
駅はこんな渓谷崖っぷちの狭い所にある.

湯野上を出た下り貨物が狭い温泉宿の間を抜ける.  1974.7.21
山の中腹には学校や湯野上の家並みが見える.

模型のレイアウトのような風景.  湯野上-弥五島 1974.7.21

 湯野上温泉-塔のへつり    2011.11.22


塔のへつり(新設無人駅)

2011年11月23日水曜日

会津線 湯野上温泉~会津田島の車窓

浅草発8:10の東武快速新藤原行きに乗り新藤原、会津田島で乗り継ぎ、湯野上温泉に着いたのが12:20と約4時間ほどであった。遠い昔、車で鬼怒川から山王峠を越えよくこの沿線を走りC11を撮ったものだが、一体どの辺りで撮ったのか今回初めて会津線に乗って車窓から沿線を眺めたのでした。

過去何回もやって来てさんざん見なれた筈の会津線の景色だが、車窓に見える遠景の山並みが冠雪で気味悪いくらいの美しさには驚いた! こんな風景見た事ない。昔から変わらず筈もない山並みの景色、これに気付かなかったのは遠景の山並みが冠雪するシーズンに来たことがなかったためだろう。そして線路ばかり見ての車運転で全体が見えなかったものかもしれない。

最も分からなかった沿線は湯野上を出た会津若松方面へ向かったSL撮影名所だが、そこは大川ダム建設で会津線ルートと駅名も大きく変わってしまったことを思い出し確認するのは諦めた。
湯野上温泉~会津田島間でも厄介なのは駅名が全く変わってしまったのが4駅もあることで、昔のままの駅名は弥五島、会津長野、会津田島くらいしかない。

会津下郷から会津田島へ向かう車窓3景
会津下郷-ふるさと公園    2011.11.22

会津下郷-ふるさと公園  

会津長野- 田島高校前
上の3景は会津下野郷から田島高校前にかけて車窓に見えた美しい山並み.
正確には判らないが栃木県境の甲子山~朝日岳にかけての連峰と思われる.

野岩鉄道と会津鉄道が接続する会津田島駅

2011年11月22日火曜日

会津線 今日の湯野上温泉駅

元国鉄会津線 (現会津鉄道会津線) の湯野上温泉~会津田島を久しぶりに訪れてみました。

          一週間前に初冠雪を迎えた小野岳.  湯野上温泉駅 2011.11.22

湯野上温泉駅

2011年11月20日日曜日

朝の仙台 東北本線

朝の仙台で東北本線の蒸機列車とその合間に仙台市電を撮れる絶好のポイントがあった。
この日は常磐線C62の列車に乗って磐城セメントがある四ツ倉まで向かう予定で、仙台9:35発の列車に乗車できるギリギリまで撮り続けた。それにしても東北本線に次々やってくる大型蒸機の本数がなんと多かった事か、そしてどの蒸機もシールドビーム等は付いてない大型蒸機本来のなんと美しい姿であった事か。

C6036が牽く上り列車の上を仙台市電がまたぐ.  1963.9.29

仙台を発車したC612が牽く下り列車  仙台

C59176が牽く下り列車  仙台

D629の荷物列車 仙台

C58 仙台

C11 仙台

常磐線平区のC629に乗って 四ツ倉へ向かう途中

2011年11月19日土曜日

朝の仙台機関区

先日の1963(昭38)年9月の朝の仙台に戻り、市電と同時進行で撮影した仙台機関区の大型蒸機です。

東北本線が仙台から先盛岡まで電化されたのはこの2年後の1965年10月で、朝の仙台機関区では迫力満点の本線用大型蒸機が次々出入りしていた。
この日機関区で撮影できたのはC6237、C6036、C6120、C615、C5990そしてC58やC11など、更に本線を走るC59、C60、C61の客列車、D62の貨物列車まで撮る事ができた。
どの大型蒸気もヘッドライトの補助燈やシールドビーム化はまだ実施されてなく美しい姿であった。
仙台に滞在した僅か4時間余りで、市電の撮影と並行しこれだけ大型蒸機に出会えたのは、東北本線も電化前でまだまだ蒸機王国の時代であったという事になる。

C62を間近に見るのは初めてで、そのデカイいこと! 大型蒸機の迫力に圧倒された。
機関区では撮影のために蒸機を移動してくれたり、朝方の蒸機の出入りの予定を教えてもらったりといろいろと親切にして戴いた。

Bloggerの新Lightbox機能をフル活用しました。操作はお知らせに記載があります。
空が白み始めた仙台機関区の朝 C6237    1963.9.29

間近で見る巨大な C6237

C6237とC6036

朝日に光る C5990

C615

正面が仙台駅ホームで、駅前のビル工事が始まっていた. C58

2011年11月16日水曜日

真夏の仙台市電

夏の仙台は七夕。昭和39年8月8日の七夕に市電が走る仙台の街はこんな風景であった。
この年の10月に開催された東京オリンピックの直前で、駅前の百貨店の飾り付けもオリンピックムードに溢れていた。東北三大祭があるこのお盆時期は東北の人出がピークとなり市電も活況があった。
鉄撮影旅行の合間に七夕だけはしっかり見学し、人並みに東北旅行をした気分を味わったものだった。

元寺小路  左手が仙台駅前  1964.8.8

元寺小路 東一番丁(仙台郵便局前)

元寺小路   中央通名掛丁の通り

七夕のメイン通り

元寺小路 
1970年の電停名の変更「元寺小路」→「中央一丁目」.

2011年11月15日火曜日

朝の仙台市電

仙台と云えば仙台市電が思い出される。
上野から夜行車中泊で朝を迎える仙台は東京から丁度よい距離で、朝から効率よく動くことができた。
夜行列車で到着する早朝の地方都市と云えば、ひと気のないうす暗い駅前に路面電車が走っている風景が定番であった。
前夜20時50分に上野を出発した青森行き鈍行列車は仙台に30分遅れで5時半頃に到着。
大都会仙台も早朝の駅前は人もまばらで通勤・通学時間前のひっそりとした風景であった。
昭和38年9月の仙台行きは市電と仙台機関区を同時進行で撮り、朝暗い内から仙台の街を駆け巡った。
あの時の風景の今をGoogleストリートビューで覗いてみるとその変貌ぶりに驚くばかりである。

全点ポップアップ拡大画像になります。   撮影日 1963.9.29
日が昇る前の朝の仙台駅前
様々な看板がいかにも地方都市らしい駅前
大都会仙台の駅前もこんな風景であった. 駅前の丸光百貨店が増改築中
仙台駅前の停留場
仙塩街道を行く10系統原町行. 花京院-小田原一丁目
花京院を出るとさんさんと差す朝日を浴び東北本線を越える.橋の碑は今もそのまま残る.
現在はこの上に新幹線高架ができうす暗い光景に一変した。
仙塩街道を行く10系統原町行. 花京院-小田原一丁目
東北線を越えると左にカーブする.
仙塩街道を行く9系統原町行
 花京院.  9系統 大学病院前行き
花京院の交差点

2011年11月13日日曜日

仙台鉄道 加美中新田の風景

1960(昭35)年5月に全線廃止となった仙台鉄道。ここも見る事が出来なかった遠い昔の軽便鉄道の一つです。加美中新田の風景の写真4点は学生時代に鉄研の先輩から頂戴したもので、撮影者の了解を得てアップします。
仙台鉄道は北仙台~西古川間44kmの長大な軽便であったが昭和26年にその殆どが廃線となり、昭和35年まで加美中新田~西古川間3.4kmが残されていた。写真の加美中新田の風景は廃線間際と思われます。 減速進行さんの仙台鉄道路線図でいかに長大路線であったかがよく分かります。

                               撮影: 法政大学鉄研OB竹下氏

DB701とキハ3  加美中新田  昭和35年頃


キハ3 昭和3年丸山車両製の木造客車を、
戦後 協三工業にて気動車に改造され最後まで活躍した.
キハ3 片側がバケットで反対側はデッキのみ.
アーチバー風の台車を履いた元客車キハは、頚城の元客車ホジと同様.


キハ4 昭和15年丸山車両製作所製

以下は仙北鉄道DB071で、仙台鉄道DB701と製造メーカ、自重が同じで製造時期が1年違い。
外観は全く同一で両者は兄弟機なのだろう。

仙北鉄道DB071  瀬峰  1964.8.4 


仙北鉄道 DB071 車両竣功図  動輪径730Φ
協三工業 昭和26年8月製造 自重7トン

北仙台行きの仙台市電. 東京オリンピック直前の1964年夏の丸光百貨店前. 1964.8.8 
ずっと昔、仙台鉄道は市電の北仙台から出ていた.