ホームに入ってきたのは真田行きの電車モハニ4250形.乗客が乗り込んで発車を待っている.
荷物合造車モハニ4250形は開業時からの古参電車で4両も揃っていた.
左に停車しているのはモハ4256(元鶴見臨港). 電鉄上田 1970.8.15
荷物合造車モハニ4250形は開業時からの古参電車で4両も揃っていた.
左に停車しているのはモハ4256(元鶴見臨港). 電鉄上田 1970.8.15
トンネルを抜け神川第一橋梁を渡るモハニ4250形. 伊勢山 - 殿城口
傍陽方面へ支線が分岐する本原駅.
電鉄上田駅に魅了されました。
返信削除大屋根に守られた駅でもあり車庫でもある、
こういう造作の駅は模型にしたくなります。
沿線の風景、そして終点真田駅もいいですね。
katsuさんの写真は構図に周囲を広く収めてらっしゃるので、
あ、これも模型にしたい、これも作ったら雰囲気出るだろうなと、
レイアウト作る際のエッセンスを色々と発見出来て嬉しいです。
Kumaさん
返信削除コメントありがとうございました。
私も模型製作を意識する方で、撮影では駅の建屋など周辺の風景を撮り入れていました。
地方私鉄は模型にしてみたい駅が多過ぎますね。欲を出し過ぎて模型は結局ものにならず、撮った写真で我慢しています。
上田電鉄。現在の別所線も車両は変わっても別所付近の風景は大きく変わっていませんのでこの線もまだ魅力的です。温泉旅館に貴兄と泊まろうとして宿から門前払いされ、やむなく国鉄大屋の駅前旅館に泊まりましたね。
返信削除おかげで丸子線を垣間見れました。真田傍陽線の記憶はネガにはありますが頭には残っておらず、貴兄の一連の写真とコメントで確認するだけですが、それにしても魅力的な造詣写真が多いいなぁ。
青蛙さん
返信削除私もこの数日間のことは全く記憶に残ってなく、日記によるとこんな行程でした。
真田線を撮った後、別所線沿線を撮ったが天候不順でやる気を失い別所温泉に入ろうかと思ったが宿を断られ、小海線へと向かい、夜の中込でやっと宿を見つけた。
翌日、小海線C56列車に1日かけた後、たまたま来た長野行きDCに乗り国鉄屋代駅前の旅館に泊まる。
翌日、長野電鉄を撮ってからまた上田に戻り、気になる別所線の車両を撮った。
予定とは大幅に異なる私鉄めぐりでした。
別所温泉で宿を断られた後、小海線の中込で宿泊したのでしたか。
返信削除翌日、小海線C56列車に1日かけた後、国鉄屋代駅前の旅館に泊まったのでしたか。大屋ではなく屋代。長野電鉄を撮ってからまた上田に戻り、別所線。このときはノートには行程すら書いていませんでした。
おかげですっきりしました。しかし、真田傍陽線は魅力的。丸子も丸子鐘紡あたりは面白そうでしたが行っておりません。ありがとうございました。
真田駅の風景に魅了されます。スイスの地方電車の終点のようですね。Kumaさまも記されているように周囲の風景と鉄道を一緒に見せていただけるのがいいですね。
返信削除Cedarさん
返信削除終着駅には鉄道の勢いがよく表れています。真田駅は菅平高原の観光開発の役目は既に終わっていたのか寂れた駅のようでした。昔はスイスの電車のような観光鉄道時代があったのかも知れません。
こんにちは、真田傍陽線の記録写真を探していてこちらにたどり着きました。
返信削除懐かしい風情のある路線でなくなってしまったのは惜しいです。
京都の出町柳から伸びる叡山線はいまでもこんな感じですね。叡山電車は鞍馬の温泉にいくときよく利用しています。
HeroineFactory Candyさん
返信削除コメントありがとうございました。
私は、真田傍陽線の上田駅に「信州の夏休み」というイメージが強く残っています。
あの時の夏の風情は今の上田駅に降り立つと全くありませんね。
叡山線に今でも風情が残っているとはさすが京都ならではと思います。
後世に車両文化遺産だけではなく鉄道の風情まで残せると素晴らしいのですが。
涙が流れるような懐かしい写真を拝見致しました。本原駅から500m程上がった場所で1952年に生まれた私です。本原駅の写真はじめどの風景もほぼ私が高校3年生当時に写されたものかと推測されました。本原駅のプラットホームに写る人々は、皆顔見知りだったような気がします。
返信削除当時の長や傍陽方面から通う高校生は、千曲川の川西に通う学生も、多くは電車賃を節約する為に川原柳駅で下車して自転車に跨るか歩いたものでした。
今は昔、車窓から眺めた風景は全く変わってしまいましたが、草生した路線をたどれば思いは尽きません。貴重な記録を本当にありがとうございました。
Fox Mulderさん
返信削除嬉しいコメントをありがとうございました。
真田傍陽線にまつわる思い出は、昨年の写真展でも来場者からお話が一番多かったようです。
とても思い出深い路線だったのですね。
千曲川に惹かれます。
もっともっと撮っておけば良かったのに、懐かしい場面を探してもこれ以上出てきませんでした。
社会人になった1967年からは地方私鉄に目を向けることが少なくなってしまい今は残念な想いです。