2011年7月12日火曜日

遠州鉄道二俣線 古典名車モハ1形

1964(S39)年春に西ヶ崎車庫を訪れると、第一線を退いた古典名車モハ1形が入換作業に余生を送っていた。1923(大正12)年の改軌・電化に際し日本車両に発注した5両で、生き延びた4両(モハ1、2、3、5)の美しい姿を見る事ができた。ドア上部が楕円形に縁取られた美しい車体に大きなブリルMCB台車を履き、奇麗にちゃ色に塗装された姿が堂々としていた。
こんな古典電車も消えゆく運命で、この年(S39年)の秋には奥山線も全廃となり、遠州鉄道の近代化が進められスカーレット一色に塗られた湘南スタイルの電車が象徴的であった。

入換作業のモハ3. 遠州西ヶ崎 1964.3.25

 
モハ1と5

堂々とした古典名車モハ2

1923(大正12)年の古典名車登場から35年後、
1958(S33)年登場した湘南スタイル モハ30形の時代へ.
遠州西ヶ崎. 1962年~ツートンカラー→スカーレット一色へ. 1964.3.25

4 件のコメント:

  1. あれから数十年、遠州鉄道も大きく変わりましたね。奥山線がなくなり、高架となり、駅も駅名も変わりましたね。貴兄と同伴した時
    には車掌が女性であったことに驚きました。
    いまでは普通の光景なのですが。

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  2. このモハ1は西ヶ崎の車庫の裏で、草に埋もれた姿をキャッチしました、そのときは本線の電車がイマイチ面白くなくて(地方私鉄にしては立派すぎた)車庫の廃車旧休車ばかりに目が行ってしまいました。そんな時代も懐かしい。

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  3. 青蛙さん
    あの当時から遠州鉄道の鉄道線には勢いがありましたね。少し変わった地方私鉄のようでしたが経営戦略が当時から上手かったのでしょう。
    当時、遠州鉄道の会社案内を読むと、とても魅力的な会社に思えました。

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  4. Cedarさん
    西ヶ崎訪問記を拝見しました。
    写真を見るとその後のモハ1形はかなり荒れ果てたようで、1両でも保存できなかったのが残念です。
    私もCedarさんと同じで、本線に目もくれず西ヶ崎車庫の裏手ばかり探索していました(笑)。オリンパスペンで撮ったネガにはいろいろ面白いものが写っていて、今回けっこう楽しめました。やはり車庫裏探索は無駄ではなかったのです。

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