2011年3月31日木曜日

鹿島鉄道 最終日

筑波鉄道の最終日1987(S62)年3月31日から20年が経った2007年3月31日、
筑波山の反対側にある石岡では、鹿島鉄道(元関東鉄道鉾田線)が最後の日を迎えた。
この日は筑波鉄道最終日と同様大変寒い一日で、桜が咲き始めた頃 鹿島鉄道も消えて行った。
石岡22:10発の鉾田行最終列車を見送りに行ったが、鹿島鉄道は筑波鉄道とは較べものにならないくらい人気があった。

石岡を出発する鉾田行き最終列車。  2007.3.31


石岡駅のセレモニー     2007.3.31


石岡駅の左手には筑波から連なる山並みが。  2007.3.8


最終日の鉾田 2007.3.31

遠い昔の石岡駅風景   1966.8.28

4 件のコメント:

  1.  まだ現場を見に行ってないんですけどねー。
     いち早くチェックしてきたひとの話を聞いたら、「もし廃線にならずに持ちこたえていたとしても、今回の地震で廃止になっちゃったかも」というくらいの被害を受けているようで・・・。
     古くは南部鉄道なんていうのがそういう事情で廃止になってますし、くりはら田園鉄道も「存続していても震災で・・・」という話がありましたし、いろいろしんどいですわー。

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  2. 猫が好きさん
    今回の大震災では私も知らなかったのですが、茨城各地で大変な被害があったようですね。本日も鉾田で震度5の大きな余震が続いています。
    鹿島鉄道が走っていた沿線の被害は全く知りませんでした。現場に行ってみないと判らないのでしょうね。

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  3.  こんばんは。

     2日の夜にコメント書いたんですが、実は前日に友人から電話をもらってました。「車出すから、被害状況を見に行かないか」というお誘いで。そしたらkatsuさんのところで鹿島参宮でしょ。なんかシンクロニシティだったものですから、つい書いてしまいました。
     見てきましたよ。
     ・・・確かに、廃線になっても不思議はないような被害状況でした。百里基地への燃料輸送が続いていたとしても、それでも榎本から先は廃線になっていたかもしれないくらいの、悲惨な状況でした。ていうか、こういう言い方はかなり皮肉っぽくてちょっとなんだかなあなんですが、実に見ごたえのするものすごい壊れっぷりだったりしました。壊れっぷりの見栄えがすごいだけで、淡々と直せばたいしたことはないとも言えますけど。
     そこらへんは、ひとんちで長々と報告してもなんだなあと思うので(=^_^;=)、あさって以降くらいに自分のところでちょこちょこ書いていこうと思います。

     鉄道というインフラストラクチュアの位置づけについて、おれの気持ちの中での価値と、社会の中での価値を、どうやって結びつけていけばいいのか。なんかそんなことを考えちゃいましたよねえ。このweblogに残されている価値を、なぜいまのぼくたちの社会は、共有できなかったんだろうかみたいなことまで。

     おまけ。
     ところがまあ、町並みとかは、そんなに悲惨な状況ではありませんでした。少なくとも、見かけは。電気ガス水道電話などは、けっこう回復までに時間がかかった場所もあり、まだ部分的には回復していなさそうなところもありで、いろいろですが。
     沿線の町は、あいかわらず寂れる方向性ではあるものの(=^_^;=)、東北とかみたいなとんでもない状況ではなくそれなりにお元気なようで、ちょっとほっとしました。比較級のそういう感想を持つことにも、ちょっと痛みを感じたりはするのですが。

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  4. 猫が好きさん
    元鹿島鉄道の沿線情報ありがとうございました。
    早速ネットで、旧鉾田駅のホームが崩れている等の被害を見て驚きました。
    たまたまアップした大昔の鉾田がこれほどの被害を受けていたとは・・・。
    今回の東日本大震災では、茨城でもかなり甚大な被害の地区があるのに、東北の陰に隠れてしまい報道には出てこないようです。沿線の町並みが悲惨ではなかった事が何よりです。
    そして筑波山系の反対側にある真壁の古い町並みも大きな被害を受けたようで心配です。

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