福井からやって来た三国港行きの電車(ホデハ1003)に乗り三国港へ向かう。 西長田
終点 三国港駅 1968.1.14 |
ひっそり静まり返った駅前。
駅の向こうは九頭竜川河口と漁港で、遠くに越前の山がかすかに見える。
海辺の民家の間を列車が行く。 三国港
三国港駅 ホデハ1003+ホサハ61 と ホデハ1002
荒れ狂う冬の日本海。向こうに東尋坊が見える。
三国港から東尋坊へ向かう日本海は、荒波がしぶきとなって陸に吹き上げていた。
冬の東尋坊。 波が高くて断崖でなくなっている。
三国港から東尋坊へ向かう日本海は、荒波がしぶきとなって陸に吹き上げていた。
東尋坊へ向け歩いていると全身潮をかぶり、メガネは全く見えなくなる。
30分程でたどり着いた東尋坊は近代的な展望タワーが場違いな感じ。荒れた海で多くの店は戸を閉ざし観光客も数えるほどであった。
夕方、芦原温泉へ向かい落着いた旅館で温泉にたっぷりと浸かり身体を温めた。
京福三国芦原線 芦原付近 1968.1.15
翌朝は一面の新雪、京福三国芦原線が不通になり国鉄三国線に乗り金津へ出た。
京福と国鉄三国線(芦原~金津) が隣り合った芦原駅 1968.1.15
雪にまみれた永平寺線金津駅
雪の三国界隈、東尋坊。北陸の厳しさが伝わってくるような写真です。三国線のキハ35!あんな寒地にあのドアは隙間風が心配です。
返信削除ロクサンもどきのサハも印象的です。
Cedarさん
返信削除京福三国港線はあんなトレーラを牽いていた時代でした。おかげで単調な電車も魅力的な編成に見えました。
国鉄三国線が三国港、更に東尋坊まで?走っていた過去の歴史は大変興味深く、その経緯を整理し現地訪問すると楽しいでしょうね。
西長田に入るホデハ1003の写真に写っている線路をよく見ると丸岡線と三国線が繋がっていますね、これを使って新任の運転手に路線を理解させる“特別列車”を走らせていました。京福の運転担当以外、誰も知らない幻の列車で、確かに大野から三国まで自在に駆け巡れるのでした。 やすし
返信削除吹雪の中を走る芦原での写真と当時の記憶で国鉄と京福の線路は芦原で繋がっていたことが判明しました。多分、貨物扱いの関係と思われますが、これを使えば金津から三国港まで気動車なら元通り行けたのではないでしょうか。トレーラのことですが、この他に梅鉢製のダブルルーフのが1台と西長田での写真に写っている1台の3台ありましたが、僕は3台ともなぜか嫌いで避けて乗らなかった覚えがあります。今では惜しいことをしたと悔やんでいます。やすし
返信削除やすしさん
返信削除いつも貴重な情報ありがとうございます。西長田で確かに線路が繋がっていますね。
京福の本線から永平寺線、丸岡線を経由して三国芦原線まで駆け巡るとは興味深い話しです。
やすしさん
返信削除雪の芦原を走る京福電車で、うっすら見える亘り線。ここが国鉄と京福が繋がっていた箇所ですね。もっと昔は国鉄がそのまま三国港まで延びていて、その線路を活用して京福電車が三国港まで開通したとか。この経緯はほんとうに興味深いです。
芦原駅に停車している気動車ですが、僕の記憶ではあんな形ではなく、島原鉄道の写真の気動車に似た車両だった様に思います。車検か何かで交代したのかな…、やすし
返信削除やすしさん
返信削除国鉄三国線の車両をネットで調べたのですが見つかりませんね。それくらい注目されていなかった路線だったのでしょうか。