ひなびた軌道線の湯野町駅から飯坂温泉に向かうと、街中には立派な温泉ホテルが多く、その中にある飯坂温泉駅はそれまでの軌道線とは違って別世界であった。飯坂温泉駅には乗客も多く駅も電車も奇麗で立派な電鉄であった。
規模が大きい有名温泉地のせいか、街もアカ抜けし鉄道に並走する道路も舗装され泥だらけのよう光景はここにはなかった。最新型の連節式電車などがバンバン走っていて、余りにもアカ抜けしていたため、訪問したことが全く記憶に残っていない鉄道であった。おかげで飯坂温泉から福島へ向かう途中に撮影した場所も不明で、marimoさんに調べてもらいやっと確定しました。marimoさんありがとうございました。
温泉客で賑わう飯坂温泉駅。 S38年新製のデハ5012-5013 1966.12.31
道路と並走し飯坂温泉に向かう電車。この年に新製したモハ5114 |
擦上川の鉄橋 |
曽根田の車庫風景。 モハ1209と1208 右はモハ1211
モハ1209と1208 幅狭窓の15m車 曽根田
モハ1202 1955年日車製広窓の15m車 曽根田
モハ1205と1204 1948年手塚製作所製の12m車。 曽根田
初めまして、多摩湖線沿線在住のつのすけと申します。
返信削除デハ5012の写真、模型の参考になりました。ありがとうございます。
また1200などのライトの過渡期の様子も写真で初めて知りました。
自分が子供の頃の地方私鉄の写真、これからも期待しています。
つのすけさん
返信削除コメントありがとうございます。
多摩湖線沿線にお住まいですか、このブログは多摩湖線から生まれたものですよ!?
1200などの3つ目ライトが2つ目へ変化するなど刻々変わっていた時代だったようで、何十年後に見て始めて知りました。
今後とも宜しくお願いしたします。
初めまして。私は鉄道愛好家ではないのですが、地方への旅先で古びた単線電車に出会うと、切なくなるほどの郷愁を覚えます。このブログを拝見して、その原点が分かりました。越後交通栃尾線です。子供の頃は、トッテツと呼んでました。明日は栃鉄に乗って長岡に行く、という時はもうワクワクして眠れませんでした。バスや車に乗ると悪酔いするのですが、不思議と電車ではそんなことは全くないでした。お決まりの靴の脱いで窓に肘をついて過ぎ行く風景を眺めていました。廃線になった時は、本当に寂しい思いをしました。それが、再びこちらのブログで会えて、感謝してます。こんな貴重な資料は私にとって、国宝に値するほどです。これからもじっくりと拝読させていただきます。なお、今の最新型の列車電車には、なんの興味も湧きません。
返信削除k.nishizawaさん
返信削除初めまして、嬉しいコメントをありがとうございました。
子供の頃に電車に乗ることの楽しさはある年代以上の人なら皆経験しているようですね。
私も子供のころは小田急の電車に乗って新宿に買物に行くのが最高の喜びでした。
素朴な楽しみくらいしかなかった時代に電車に乗ることがどれだけ楽しいことであったか。
何でもありの社会になってからは楽しいことがいくらでもあり、電車に乗る楽しみも薄らいでしまったことでしょう。
鉄道ファンでない方が栃尾線の電車に郷愁の原点を見つけられたとのこと、栃尾線のような地方私鉄に鉄ファン以外の方が何かを感じてもらえれば、これはもうブログ続けた甲斐があります。
擦上川の鉄橋の写真は,松川の鉄橋だと思います。
返信削除松川の下流の手前が,福島駅側からの撮影と思います。
とても懐かしく,見させていただきました。