黒井~百間町、飯室~浦川原間の両端が廃線となった頚城鉄道は、国鉄黒井での接続を断たれ陸の孤島のような鉄道になっていたが、百間町~直江津間を往復するバスとの接続により、かろうじて孤島は免れていた。
朝もやの中をやってきた一番列車が百間町に到着すると、乗換え客は先ほどのバスに乗り込み直江津へ向かって行った。乗換えの賑わいが去ると、またもとの静寂に戻り次の発車まで、人気のない百間町駅は朝陽を浴びひっそりとしていた。
新黒井方面を見ると、一直線に延びていた線路が外され行き止まりになっていた。
百間町には貨車も客車も見掛けず、ホジの単行が残された百間町~飯室の間を往復していた。
よく持ちこたえた頸城鉄道も最後の冬を越し、翌年(1971年)の5月に廃線となり消滅してしまった。
![]() |
朝陽を浴びた百間町駅。一番列車の客を直江津行きのバスが待ち受ける。 新黒井まで延びていた線路はここで途切れている。 |
![]() |
一番列車のホジの乗客を乗せたバスが直江津へ向かって発車していく。 空になったホジは次の発車までのんびりと待つ。 百間町 |

静まり返った朝の百間町駅

百間町機関庫の外にはラッセル車のみで、
沢山いた貨車は浦川原に取り残されたのか? 姿は見えず。
0 件のコメント:
コメントを投稿