6 コメント
- 匿名 さんは書きました...
- 軽便のたたずまいは地域の住民の足として活躍した最後の時期ですね。のどかな牧歌的な光景に安らぎを覚えます。人がいて鉄道があるのです。まだ世の中、静かな時でゆっくりと流れる時間を1枚の写真から感じます。
無機質な写真からは何も時代の流れと当時の人々の生活が感じられません。生活感のある
Katuさんの写真似は共感を覚えます。
青蛙 - 青蛙さん
ありがとうございます。
この軽便も最後の頃です。
今になって想えば、当時は
ほんとうにのどかな時代でしたね。
よき時代の軽便を体験できたことは
幸せでした。 - 築館伊豆郎 さんは書きました...
- 私も仙北鉄道を調べている者で、当時の運転士や築館駅近辺で、築館線を利用した方に話しを聞くなど、そして探検隊のように築館線の軌跡を巡るなどして、自分なりにまとめております。このたびの写真を拝見して往時をイメージするには大変参考になり、また長年願っていた両親の故郷の景色を垣間見ることができ長年願っていた夢が叶った思いがしました。しかしながら時代の流れとはいえ、廃線になったのは本当に残念でならないと考えています。大変貴重な写真をありがとうございます。
- 築館伊豆郎さん
コメントありがとうございました。
築館線ですか!
私にとって築館線は憧れの夢物語のようです。
仙北鉄道訪問時、瀬峰から続くあの廃線跡を何故追わなかったのか、残念な想いをしています。築館線の調査を是非とも拝見したいものです。 - 築館伊豆郎 さんは書きました...
- 築館伊豆郎です。築館駅は、その足跡が辿れない箇所が登米線よりもかなり多く、「・・・だろう」という手がかりと、町の古老(主に同線利用者と元運転士)たちの話で調べてみました。以下、Katuさんは既に知っているかもしれませんが、まず驚いたのは、実はかつて築館駅から更に西にある一迫・花山方面へと延長する計画があったということを知りました。(これは予算等の関係で頓挫したようです)
さて、➀12kmの行程、築館駅(現税務署)を仮想出発すると、暫く直線を走りますが、その後、下り坂に差し掛かり、また平地へ、➁緩やかに右に進路が向くと進行方向の左車窓にはかすかに伊豆沼の景色が見えてきます➂そして更に右に進路が向くと今度はかなり長い直線を走り、④やがて緩やかな登坂、今度は左に進路が向くとトンネルに入り、➄そのトンネルを抜けると左側に山、右側には田園風景が広がり➅更に直線コースを辿りながら東北本線を潜り瀬峰駅に合流するという感じです。
今、遺構として残っているのは➀の近辺に車両を納めた車庫がその姿を見せてくれ、今でも倉庫として使っている模様です。➁については、現在、東北自動車道が横切っておりますが、駅からこの近辺そしてさらに下ると相当の段差があった感がします。④かつて何の気なしに築館と登米を行き来してましたが、まさか道路の下方に仙北鉄道のトンネルがあったなど知る由もありませんでしたが、よくよく見ると確かに写真に残されているコンクリート状の壁面が土砂に埋もれているのがわかります。➄はその奇跡は殆ど体を為さない程、景色が変ってしまい、ある所は川の下に、またある所は田んぼの畦道になっています。➅はその畦道から現在の県道に合流し、「藤里停留所跡地」と石碑が建ちやがて東北本線へと合流する具合だったそうです。また運手士だった方の曰く「瀬峰から出発していつも苦労するのは、そろそろ築館駅へという時、きつい登り坂なので滑り止めの砂を線路に撒くなど、時には車両を降りて先駆けて砂撒きしたんさ!」がとても印象的でした。今でもその方は瀬峰に元気で住んでいます。
追伸 登米市歴史博物館で購入した「仙北鉄道」の資料に、とても興味深い廃線路が記してあり、なんと約40kmに渉る私鉄「仙台鉄道」というものが、北仙台⇒西古川(現大崎市)を結んで鉄道が敷かれていたらしいです。今回は長くてすみません。 - 築館伊豆郎さん
詳細なコメントをありがとうございました。
全く見たことのない築館線のことが目に浮かんで来ます。築館線のコメントと、ここを走っていたガソリンカー他をまもなくアップさせてもらいます。
軽便のたたずまいは地域の住民の足として活躍した最後の時期ですね。のどかな牧歌的な光景に安らぎを覚えます。人がいて鉄道があるのです。まだ世の中、静かな時でゆっくりと流れる時間を1枚の写真から感じます。
返信削除無機質な写真からは何も時代の流れと当時の人々の生活が感じられません。生活感のある
Katuさんの写真似は共感を覚えます。
青蛙
青蛙さん
返信削除ありがとうございます。
この軽便も最後の頃です。
今になって想えば、当時は
ほんとうにのどかな時代でしたね。
よき時代の軽便を体験できたことは
幸せでした。
私も仙北鉄道を調べている者で、当時の運転士や築館駅近辺で、築館線を利用した方に話しを聞くなど、そして探検隊のように築館線の軌跡を巡るなどして、自分なりにまとめております。このたびの写真を拝見して往時をイメージするには大変参考になり、また長年願っていた両親の故郷の景色を垣間見ることができ長年願っていた夢が叶った思いがしました。しかしながら時代の流れとはいえ、廃線になったのは本当に残念でならないと考えています。大変貴重な写真をありがとうございます。
返信削除築館伊豆郎さん
返信削除コメントありがとうございました。
築館線ですか!
私にとって築館線は憧れの夢物語のようです。
仙北鉄道訪問時、瀬峰から続くあの廃線跡を何故追わなかったのか、残念な想いをしています。築館線の調査を是非とも拝見したいものです。
築館伊豆郎です。築館駅は、その足跡が辿れない箇所が登米線よりもかなり多く、「・・・だろう」という手がかりと、町の古老(主に同線利用者と元運転士)たちの話で調べてみました。以下、Katuさんは既に知っているかもしれませんが、まず驚いたのは、実はかつて築館駅から更に西にある一迫・花山方面へと延長する計画があったということを知りました。(これは予算等の関係で頓挫したようです)
返信削除さて、➀12kmの行程、築館駅(現税務署)を仮想出発すると、暫く直線を走りますが、その後、下り坂に差し掛かり、また平地へ、➁緩やかに右に進路が向くと進行方向の左車窓にはかすかに伊豆沼の景色が見えてきます➂そして更に右に進路が向くと今度はかなり長い直線を走り、④やがて緩やかな登坂、今度は左に進路が向くとトンネルに入り、➄そのトンネルを抜けると左側に山、右側には田園風景が広がり➅更に直線コースを辿りながら東北本線を潜り瀬峰駅に合流するという感じです。
今、遺構として残っているのは➀の近辺に車両を納めた車庫がその姿を見せてくれ、今でも倉庫として使っている模様です。➁については、現在、東北自動車道が横切っておりますが、駅からこの近辺そしてさらに下ると相当の段差があった感がします。④かつて何の気なしに築館と登米を行き来してましたが、まさか道路の下方に仙北鉄道のトンネルがあったなど知る由もありませんでしたが、よくよく見ると確かに写真に残されているコンクリート状の壁面が土砂に埋もれているのがわかります。➄はその奇跡は殆ど体を為さない程、景色が変ってしまい、ある所は川の下に、またある所は田んぼの畦道になっています。➅はその畦道から現在の県道に合流し、「藤里停留所跡地」と石碑が建ちやがて東北本線へと合流する具合だったそうです。また運手士だった方の曰く「瀬峰から出発していつも苦労するのは、そろそろ築館駅へという時、きつい登り坂なので滑り止めの砂を線路に撒くなど、時には車両を降りて先駆けて砂撒きしたんさ!」がとても印象的でした。今でもその方は瀬峰に元気で住んでいます。
追伸 登米市歴史博物館で購入した「仙北鉄道」の資料に、とても興味深い廃線路が記してあり、なんと約40kmに渉る私鉄「仙台鉄道」というものが、北仙台⇒西古川(現大崎市)を結んで鉄道が敷かれていたらしいです。今回は長くてすみません。
築館伊豆郎さん
返信削除詳細なコメントをありがとうございました。
全く見たことのない築館線のことが目に浮かんで来ます。築館線のコメントと、ここを走っていたガソリンカー他をまもなくアップさせてもらいます。