1967(昭42)年、九州私鉄と路面めぐりの帰路に立寄った瀬戸内海の呉。九州内では連日宿が夜行列車で、久しぶりにゆっくり宿泊した呉の旅館が忘れられない。この年の12年に廃止が迫った呉市電を撮ったが、実に平凡でこれといった記憶のない路面電車であった。
表通りを市電が走り、街角では子供達が元気に遊ぶ. 阿賀 1967.3.7
山並み迫る瀬戸内海 呉の街をこんな市電が走っていた.
C62が牽く朝の通勤列車に乗って笠岡へ向かう. 呉線呉駅 1967.3.8
コメントは昔の記事のものを残してあります。
呉市電は訪問したことがないので興味深く眺めています。ゆとりある時代でしたが宿泊代を工面するのには苦労していましたね。軍港として栄えていた時の面影は写真からは無いようですね。写真は時代を物語っています。青蛙
返信削除青蛙さん
返信削除宿泊代や食事代を浮かして、少しでもフィルム本数を増やすのに充てていました。
夜行列車の連泊は今思うと身体がよくもったものです。地方私鉄の廃線が続いた時代で、今撮っておかねば後で後悔する、というような義務感みたいなものがありました。
C62の牽く朝の通勤列車、駅は呉でしょうか。この写真の日の当たり具合から見ると広島から到着した列車のようですね。この列車に乗って瀬戸内海の海を楽しんだのかな。それとも撮影後、駆け足で遠くに見える跨線橋を渡り、左隣のホームに停車している列車に乗って、広島へ行ったのかな。いずれにしてもこの場所で撮影できるなんて鉄道ファンにとっては良き時代でしたね。
返信削除t7marimoさん
返信削除お久しぶりの来訪、嬉しく思います。
C62の列車はその通りで、呉駅でC62に付け替えて糸崎行が出発するところです。
呉駅にはC59も居て、国鉄にお断りして自由に撮らせてもらいました。撮影後、このC62列車に乗って糸崎経由で次の笠岡へと向かいました。
最初の写真いいですね~!子供たちの姿、電車の横顔、そしてその後ろに見える嫁入道具の文字に泣けました。こういうフレーミングの写真って時が経つにつれて価値が出てきますねえ。
返信削除Cedarさん
返信削除ありがとうございます。
私も看板にはよく目が行くほうで、超拡大して嫁入り道具の下に青山家具と隣の第一生命の看板を確認しました。
看板からこの場所は呉線の安芸阿賀駅前で、家具屋の脇が電停阿賀駅前でした。
いつも看板からこんな場所当てを楽しんでいます。