2026年4月20日月曜日

秩父鉄道 熊谷駅

 秩父鉄道と言えば熊谷駅構内で見た美しい電機たち。あの頃の貨物輸送にこんな魅力的な電機が活躍していた。それと秩父鉄道のホームの先にいた東武熊谷線の美しい気動車。

熊谷駅 撮影:1965.5.30


東武熊谷線の気動車はまだブタ鼻ヘッドライトに改造前で、ツートンカラー(クリーム/濃紺)に塗られた美しい気動車の時代があった。改造後の姿とは印象が全く違う。

AIカラー化


クハ600形+デハ500形 と ED381     熊谷 1965.5.30

デキ3  1984年廃車

デキ7  1977年廃車
1925年(大正14年)、秩父セメント(当時)秩父工場の操業開始に合わせてイギリス・イングリッシュ・エレクトリック(デッカー)で製造されたデッキ付き箱形B-B機。同型車は東武鉄道(ED10形)にも存在した。


ED381  1988年廃車
日車1930年製で阪和電気鉄道ロコ1000形として製造され、国有化後1952年に改番されて国鉄ED38形電気機関車となり、1959年に秩父鉄道へ譲渡された。


6 件のコメント:

  1. 北鉄ノスタル爺2026年4月22日 10:28

    熊谷線キハ2000の原型はやはり美しいですね。
    熊谷駅からほど近い、熊谷市妻沼公民館(元妻沼駅付近)に保存されていて、保存状態も良いのが幸いです。
    オリジナルへの復元などは望めないところですが…。
    後方に秩父鉄道500系も見えてますが、真ん中の車止めを挟んで、熊谷線と秩父鉄道はホームを共用していました。
    確か現在はスルーできるようになったはずです。

    画像2枚目のデキ3は現在、国道125号線沿いの工場に保存されていますが、オリジナルと全く違うベージュ色っぽい塗装がされているのが残念です。
    デッカーのデキ7は引退時には記念切符まで出ました(当然、買いました)。こちらは最後までオリジナルの茶色塗装のままでした。

    子供心にも腰高スタイルがすごく奇妙に感じたED38も懐かしいです。電機が徐々に秩父鉄道の青色に変わっていき、ED38もオリジナルの茶色から青色塗装になって残り、ご存知かと思いますが、廃車後も三峰口駅に他の車両達と共に静態保存されていましたが…全部解体されてしまったのがことごとく残念です。

    こうして振り返ると、熊谷駅南口側もまた百花繚乱の楽しさがありましたね。

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    1. 北鉄ノスタル爺さん
      熊谷駅のことを詳しくありがとうございました。熊谷は一時住まわれていたことがあるんですね。私はこの頃の熊谷はこの1965年だけしか知りません。当時は何も思わなかったけど、熊谷駅構内 今思うと大変に魅力ある時代だったのですね。電車好きの友人に誘われてあまり気乗りしない撮影行でしたが行って良かった熊谷。

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  2. 最近のAIカラー画像楽しんでおります。「えっ、意外!」と、実物を見ていないものばかりなので、非常に新鮮でまた参考になりますし、その鉄道の印象までもが影響を受けますね。モノクロで抜け落ちていたカラーデータを補完するという意味で、AIカラー化は賛成派です。
    こちらは、最近Youtubeに出てくるAIが生成したフリースタイルの貨車、どこからがデータを引っぱって来るのか、なかなかグロテスクで楽しめます。

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  3. #9999さん
    以前あったモノクロ写真に色づけするようなカラー化は好ましいと思っていませんでした。ところが今のAIカラー化はカラー写真のように仕上がりますね。ただし、どんな画像も適する訳ではなく、画像に適不適があるようです。
    昭和30年代の地方私鉄はカラー情報が大変少ないので、カラー化は記憶にあるカラー情報が決め手になると思います。沼尻では日産EV新型リーフのイメージカラーを基調にして様々記憶と付け合せてみました。

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  4. 秩父の阪和形ELは現役時代に寄居で撮っています。せっかく三峰口に保存(最後は酷い状態でしたが)したのに他の古典ELともども解体されてしまったのは、近江のロコ1000ともども残念でした。産業資産という考えが根付かない国、国立博物館でさえも利益出さないとダメという国ですからねえ~

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  5. Cedarさん
    あの時代に秩父鉄道に在籍していた電機、改めて貴重な存在であったことを感じます。日本では鉄道産業遺産の考えが欧米などとは根本的に違っているのを常に感じます。秩父鉄道に限らず貴重な遺産がどれだけ消えてしまったか。

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