年の瀬の大掃除で出て来た京急大師線の写真。
ちょうど、明日12月20日夜NHKプラタモリで大師線の廃線跡を放送するそうだ。
番組で廃線跡をどこまでやるか?
この写真で行先表示版、三線軌条などからある時代の大師線の塩浜支線と分かる。
川崎市電、国鉄貨物線、塩浜支線の三線軌条の変遷を線路図に書いてみたくなった。
3線軌条の複線から3線軌条の単線への入り方から、ここは池上新田駅と分かり、複線区間の終わり方が分かる。更に田辺さんが塩浜へ向って撮り歩いた写真を順に追って撮影場所を推定できるか。1963.12.12

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kk-kiyoと申します。いつも貴ブログを楽しみに拝見致しております。私は川崎臨港の鉄道路線の変遷に大変興味を持っており、古地図を片手に現在の川崎臨港の廃線跡をよく探訪しております。その状況を私のブログ『ローカル線の回顧録』でもときどき報告しておりますが、川崎臨港は戦後に急激な発展を遂げたため鉄道路線、特に企業の専用線に関しては変遷の記録がほとんどなく、頼りの国土地理院の地図ですら変遷に追従出来ていない状況で曖昧です。そのような状況下において、katsu様、Cedar様のブログに登場する川崎臨港のお写真はとても貴重な記録であり、いつも食い入るように拝見致しております。しかし、昭和30年代の実態を知らない私にとっては謎だらけです。川崎市電、国鉄貨物線、京急塩浜支線の三線軌条の変遷図を楽しみにしております。宜しくお願い致します。
返信削除kk-kiyoさん
返信削除コメントありがとうございます。
貴ブログ『ローカル線の回顧録』は先日拝見したところです。
大変に詳細な調査で驚き感心しました。
私は古いピク記事を元に、写真を証拠として付け合せしたいと思っていました。三線軌条に関してはネットでもまだ正確な情報はないようです。どこまで描けるか分かりませんが、なんとか纏まればここで紹介したいと思います。
katsu様
削除貴ブログに追加頂きました池上新田のお写真ですが、これは入江崎電停ではないでしょうか?。RM LIBRARY 43の30ページにほぼ同じカットの写真が掲載されているのを偶然見かけました。複線区間の3線軌条は、上下線共に軌道の外側が狭軌用として敷設されている様です。入江崎は、単線区間の交換所なので複線区間とは異なり狭軌の線路は、上下線共に海側に敷設されていたと思われます。
ところで、私は入江崎付近の路線の変遷に疑問を持っています。年明けにその関連の探訪記録をブログにアップしますので、宜しくお願い致します。
ブラタモリ見ました 川崎大師に行く為の物から工業地帯に延伸した 解るような感じがしました 私には川崎と聞くと真っ先に お風呂と競輪そして川崎球場が思い浮かびます数年前歩きましたが 暗い感じは無く一変して居ました。
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