2024年5月7日火曜日

表紙 有田鉄道のこと

表紙の写真 有田鉄道は全線5.8kmの小さな路線。

国鉄紀勢本線藤並駅のホームに降り立つとそこに有田鉄道の粗末な出札小屋と簡易な乗換改札口があった。改札口の先に停車していた有田鉄道キハ210はよく見かける元国鉄42000形の顔で、赤ん坊を背負った乗換客などが乗車すると金屋口へ向け発車して行った。
藤並 1964年夏


藤並を発車したキハ210は有田川沿いのミカン畑の中を15分ほど走ると有田川上流にある終着駅金屋口に到着した。駅の脇には木材が雑然と積まれ殺伐とした風景であった。1964.7.9


キハ210に乗って着いた金屋口は御坊臨港鉄道と同様で木材だらけ.
有田川上流が木材産地で御坊臨港の終点日高川とよく似ている.

こんな機関車がいた.DB10
昭和29年森製作所製でこれも蒸機の足回りを利用したディーゼル機.


殺伐とした終着駅金屋口の全景.


有田川が流れる金屋町の玄関 金屋口駅.
駅前から見ると立派な
終着駅であった。

2024年4月29日月曜日

奥山~気賀口間の部分廃線

遠州鉄道奥山線の春爛漫の奥山駅をRM LIBRARY 第10巻に掲載したのは2000年5月でした。1963年4月30日に部分廃線となった奥山~気賀口間。これまで奥山駅は写真集でも取り上げてきたので今回の情景集には掲載されていません。秋までにこの廃線区間と奥山駅にまつわる話を纏めようと思っています。



春爛漫の奥山駅はまさにジオラマ的な情景であった.


気賀口から奥山へ続く線路.どの駅にも人影がない.



桜満開の奥山駅 1963.4.4

味わい深い駅舎.


発車まで20分程のひと時.


駅の脇に川が流れ周辺は桜が満開だった.


奥山から戻って来たキハ1804は気賀口で電車型キハを増結した。前方を右手にカーブする線路が奥山まで伸びていた1963年の4月。

2024年4月24日水曜日

能登の思い出

1972年と1962年の能登 


内浦

奥能登観光全盛時代の国鉄能登線を行く
奥能登号.1972年秋


以下は北陸鉄道能登線 1962年夏

美しい松林を行く列車.
左手の小さな半島の向こうに柴垣海水浴場がある.滝-柴垣


国鉄七尾線に接続する羽咋駅.
能登線の奇妙な車両があちこちにいた時代.


小型ボギートレーラ.  コハフ3001


朝の能登線羽咋駅構内.
背後にC58の煙がたなびく.

七尾線のC58



2024年4月17日水曜日

発売されました「地方私鉄 失われた情景」

「地方私鉄 失われた情景」が出来上がりました。
4月20日発売ですが、それに先立ち書泉グランデなどでは店頭に並びました。

1960年代の情景は今やそのほとんどが失われ写真や動画やジオラマでしか感じられなくなってしまった。当時の写真を見ると私は郷愁というよりジオラマが目に浮かび、看板、服装、家並みなどがまるでジオラマの小道具のように思えてしまう。そこには無機質ではないあの時代の空気感が漂っている。それが感じられるようになったのは60年の歳月で変化して来た社会のせいなのでしょう。



磐梯山麓のドロ軌道 沼尻鉄道.


横須賀街道沿いを行く 静岡鉄道駿遠線.


良き時代の井笠鉄道 大井村.


漁港がすぐそば 滝駅 北陸鉄道能登線.

昭和27年10月1日現在 客貨事務用鉄道線路図(日本国有鉄道営業局)
全国路線図で青色が地方私鉄で駅名も入っています。



2024年4月11日木曜日

西武国分寺線

2年前の今日4月11日。
緑が撮りたくなって、久しぶりに国分寺線 鷹の台へ。
新緑の玉川上水を歩いてみた。

2022.4.11




玉川上水

野に咲く花

2024年4月7日日曜日

石神井川の桜

間もなく満開を迎える石神井川の桜。
週末には多くの鉄ファンで賑わうことでしょう。


2024.4.3


やっと晴れた今日の日曜日 2024.4.7

2024年3月29日金曜日

「地方私鉄 失われた情景」

「地方私鉄 失わせた情景」内容はこんな感じになります。
TMSに連載した2ページ完結/1路線 だけでなく、見開き写真を多くしてあります。



表紙カバーは表裏がつながったこんな風景になります。



2024年3月18日月曜日

「地方私鉄 失われた情景」発売のお知らせ

鉄道模型趣味(TMS)誌 4月号の裏表紙に発売広告が掲載されました。

「地方私鉄 失われた情景」が4月20日に機芸出版社から発売されます。
取り上げた路線はここに挙げた計44路線です。
発売まで1ヵ月ありますので内容の紹介は徐々にお知らせして行きます。 



 6年前の写真集「地方私鉄1960年代の回想」上下巻に引き続きまた名取編集長の編集で「地方私鉄 失われた情景」が出来上がりました。今回も時代は1960年代です。

 TMS誌に2019年から2022年まで3年間連載した記事を1冊に纏めるだけでなく、再編集して更に新たな路線を加え計44路線として纏めてあります。


国鉄紀勢本線藤並駅のホームに降り立つとそこに有田鉄道の粗末な出札小屋と簡易な乗換改札口があった。改札口の先に停車していた有田鉄道キハ210はよく見かける元国鉄42000形の顔で、赤ん坊を背負った乗換客などが乗車すると金屋口へ向け発車して行った。
藤並 1964年夏





2024年3月15日金曜日

「安芸線探訪」 安芸線跡を歩く

本の紹介です。

表紙に終点「あき」、裏表紙に起点「ごめん」の行先表示板を配置した「安芸線探訪」改訂新版。高知市のリーブル出版から全国書店で4月1日頃に発売開始予定だそうです。
訂正:Amazonは予約開始でした。

土佐電気鉄道安芸線の廃線跡の探訪で、帯に書いてあるように全24駅の現在と数多くの遺構、S37年の国土地理院の航空写真12駅、現役時代の安芸線の写真など。
既にRM LIBRARYなどでよく知られた歴史&車両の解説ではなく、上質な企画・デザインで安芸線が走った時代と今が味わえる書でした。
 






以下は私が後免町で見た安芸線です。1969.5.5
阪神一色の時代を迎えていた安芸線.後免町


軌道線を走っていた安芸線乗り入れ「あき」行き急行.

2024年3月5日火曜日

鹿島鉄道の春

そういえば3月は花咲く沿線を走った鹿島鉄道.2007年3月


八木薪の土手に登って撮ったキハ714.浜-八木薪 


霞ヶ浦湖畔.玉造町-浜 


春らしく所々に花が咲く沿線.玉造町-浜 


適量の菜の花が自然でよい.玉造町-浜

2024年3月1日金曜日

今朝の富士山

今朝は暗雲の下に雪を被った丹沢から多摩へかけての山並みが美しかった。

しかし、次第に雲が南へ流れ富士山が全容を現す頃には輝きが薄くなり(写真)

しばらくして真っ青な空になると何時もの風景になって行った。


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2024年2月20日火曜日

雨上がりの耶馬渓3


 撮影日:1967.3.5


羅漢寺駅のキハ101やまばと.


増水した山国川沿いを行く耶馬渓線の線路に現れる列車を待つ。




梅が咲く雨の耶馬渓.




景観の下にやって来た小さな気動車.