栗原電鉄で私の記録は一言でいえば空腹と単調さ(田園風景、M15形一形式のみ)であった。何もない沿線はいつも空腹に悩まされる、そんな栗原の旅日記を追ってみます。
撮影:1966.03.01
石越駅
仙北鉄道の訪問を終え、瀬峰から鈍行で石越に着くと連絡ホームはなく駅前に出てみると、単行のM15形が停車している栗原電鉄「のりば」があった。
M152 石越
M151 津久毛
M15形(151~153)は先ほどまで軽便(仙北鉄道)に乗っていたせいか、ばかに車内が広く感じられ堂々とした車両に見え、アカ抜けしたスタイルにグリーンとクリームのツートンカラーが文句なく似合っていた。二つ目の若柳で下車し本社で許可をとると親切に車庫まで案内されて車両の説明までして戴いた。
M153 若柳
ちょうど元西武の二枚窓M18形(撮ってなかった)が入場中で、この日の運転はM15形だけであった。
M151 若柳
この駅の近くに高校があるようで今日は卒業式らしく免状らしい筒を持った女高生が三々五々駅に集まってきて駅は高校生で一杯になってしまった。やってきた電車は単行のため高校生で満員、車内には派手な広告がデカデカと下がっていた。
沢辺まで切符を買ったが沿線は一面の田んぼばかり、仕方なくその先の津久毛まで乗った。ここは交換駅だが田んぼのど真ん中、入場券(コレクション)を買ってから外に出たが駅前に店はなく民家が数軒のみ。ここで飲食店に入って昼食とる予定が狂ってしまい、空腹が続いた。
M15形
津久毛から細倉方面に歩き出すと、暖かい初春の日差しの下、仙北鉄道と同じように田んぼの向こうに連なる農家の佇まいの風景が美しかった。冬枯れの黄ばんだ枯草とぼつぼつ芽が吹いた新緑の木立、そして何かの木の花が咲き誇っていた春の訪れ。よく考えればこの日は朝から何も食べてなかったが、空腹を我慢して次の杉橋駅まで1.5kmほどを歩き出した。
M15形 杉橋駅の手前? いや駅の先かも知れない.
24レで石越へ戻ることにしてこの無人駅で休んでいると、あたりは暮れ落ち夕飯の支度なのか家々から煙が立ち上り、旅の寂しさを感じさせた。ベンチでボッーとしていると地元のお年寄りがこちらを向いて挨拶したのには驚いた。純朴な地方では地元の駅で誰とでも挨拶するのは当たり前なのだろう。
杉橋駅の近辺にはわりと家があり駄菓子屋くらいはありそうで先へ進んでみた。杉橋は無人駅で駅近くに石碑と松の木があるムードある駅でほっとした。駅前には商店街みたいなものは全くないが、あの淡路島にあったような駄菓子屋(今ならコンビニ)があったので、菓子パン2個(35円)を買ってやっと昼食にありつけた。川辺で菓子パンをかじっているとやってきたのがMT編成であった。
24レで石越へ戻ることにしてこの無人駅で休んでいると、あたりは暮れ落ち夕飯の支度なのか家々から煙が立ち上り、旅の寂しさを感じさせた。ベンチでボッーとしていると地元のお年寄りがこちらを向いて挨拶したのには驚いた。純朴な地方では地元の駅で誰とでも挨拶するのは当たり前なのだろう。