私が長野電鉄を片手間に訪問したのは1970(昭和45)年で、その時は長野電鉄の古豪電車が走る魅力が僅かに残されていました。その3年前の昭和42年に訪問した田辺さんのスキャン画像を見ると昭和45年とは違って良き時代の長野電鉄だったようです。この時代の僅か3年の違いは大きい。
昭和42年春で鉄仲間は解散し、私はもう地方へ撮りに行くことも滅多になくなったが、その後、田辺さんは昭和44年ごろまで地方を同じペースで撮り続けていたことが遺されたスキャン画像から判りました。私はこんな良き時代だった長野電鉄のことを何も知らずこの頃志賀高原にスキーに行って湯田中まで乗車したのに長野電鉄には全く無関心でした。
昭和42年2月 良き時代の長野電鉄を田辺さんが遺された画像から追ってみます。
2015年9月29日火曜日
2015年9月28日月曜日
越後交通 長岡線の電機
コメントで長岡線のスノープロウの話題が出ましたので、この時の長岡線西長岡の電機もアップしてみます。2月下旬、雪が少なかったせいか電機のスノープロウは外されています。
ED401 (相模鉄道ED10形と同タイプ) 西長岡 1967.02.23 撮影:田辺多知夫
ED311 (東芝製標準機を模範にした西武所沢工場製)
電機代わりに使われていたのかモハ2001
そして同じ日の栃尾線でスノープロウを装着したモハ212 長岡
2015年9月24日木曜日
2015年9月22日火曜日
越後交通 長岡線
栃尾線訪問から3年たった越後交通の長岡線をのぞいてみましょう。
私が長岡線を訪問したのは旅客廃止直前の1975年3月でしたが、田辺さんは1967年に訪問していて、その時は1969年9月の1500V昇圧前で魅力的な750V時代の電車が走っていた時代でした。長岡線は1969(昭和44)年の昇圧化で元小田急車一色になって大きく変貌したわけですね。
私が訪問した1975年の長岡線はもぬけの殻だったわけです。
1500V昇圧化(昭和44年9月)前に入線していた小田急1400形(1402+1451) 1967.02.23
1500V昇圧化してからは元小田急1400形が主力となり旧型車は消滅した。
私が長岡線を訪問したのは旅客廃止直前の1975年3月でしたが、田辺さんは1967年に訪問していて、その時は1969年9月の1500V昇圧前で魅力的な750V時代の電車が走っていた時代でした。長岡線は1969(昭和44)年の昇圧化で元小田急車一色になって大きく変貌したわけですね。
私が訪問した1975年の長岡線はもぬけの殻だったわけです。
モハ2001(元気動車) 西長岡 1967.02.23 撮影:田辺多知夫
モハ3002 西長岡
これぞ元京王デハ2125を2扉化したモハ3005ではないか.西長岡
ここでも1500V昇圧化で消えた。
京王2125
モハ3005+ホハ33or34(元目蒲)
モハ5001 西長岡
モハ5001(元富士身延鉄道)
1500V昇圧化(昭和44年9月)前に入線していた小田急1400形(1402+1451) 1967.02.23
1500V昇圧化してからは元小田急1400形が主力となり旧型車は消滅した。
2015年9月20日日曜日
栃尾線 悠久山駅
悠久山 1964.03.22 撮影:田辺多知夫
日本のマイカー時代が幕明けする直前で、栃尾線でも長岡市郊外の悠久山や上見附まで人々の足はまだ軽便鉄道であった。悠久山や上見附の駅では珍編成の列車が到着するたびに駅は乗客で賑わっていた。今、地方ではマイカー利用から鉄道を利用したコンパクトシテイ指向が注目だがライトレールの一つとしてこんなコンパクト鉄道の現代版が一翼を担う時が来るかも知れない。もちろんナローとは云え近代化車両と設備で。
後ろのカマボコ客車(2両いた)の1両から生まれた驚きの電車モハ211
2015年9月19日土曜日
栃尾線 長岡駅
1964年3月22日、ともに越後交通栃尾線を訪問した田辺さんの写真から長岡駅に休む様々な車両と東洋工機製で新造された垂直カルダンドライブ車について補足してみました。これら人気の新造電車もツートンカラーになる前のマルーン一色の時代で地味な存在であった。この後、客車牽引から総括制御編成化など次々と近代化の手を打ったが1975年3月に早すぎる廃線で幕を閉じた。
撮影:田辺多知夫氏 1964.03.22
長岡駅の奥にある2線建屋(工場)の前に休むモハ212
2線の車庫 3年後の1967.02.23
悠久山行へ発車した列車
自社工場製ジュラルミン車体のモハ210
貨物線の長大貨物列車
ユニークな電車 モハ209
ガソリンカー→電車化→客車化のホハ25
ホハ23(元江ノ電)
モハ214、そして廃線まで活躍した215は生まれたばかりの新車であった。後に電装解除される。
2015年9月15日火曜日
安比奈の鉄連コッペル
数日前、フランクフルトの博物館へこれを見に行った知り合いからこんな写真がFacebookに飛び込んできました。コメントに「鉄道連隊E103でユネスコ村以来30年ぶりの再会です」と。
えっ ユネスコ村に展示ということは安比奈の鉄連コッペルではないか! ということでブログで昔の記事「安比奈のコッペル1と2」を開けてみました。
安比奈にあったあの鉄連コッペルE103がドイツで美しく復元されていたのでした。
入間川の河原で泥に埋もれ泥だらけで放置されていたあのコッペルがあれから50年、ドイツに里帰りしてまさかこれほどまでに美しく復元されるとは驚きです。Facebookの写真(了解済)と50年前の安比奈の写真を比較してみました。
えっ ユネスコ村に展示ということは安比奈の鉄連コッペルではないか! ということでブログで昔の記事「安比奈のコッペル1と2」を開けてみました。
安比奈にあったあの鉄連コッペルE103がドイツで美しく復元されていたのでした。
入間川の河原で泥に埋もれ泥だらけで放置されていたあのコッペルがあれから50年、ドイツに里帰りしてまさかこれほどまでに美しく復元されるとは驚きです。Facebookの写真(了解済)と50年前の安比奈の写真を比較してみました。
西武2号機(E16)
西武3号機(E103)と 2号機(E16)