オリンパスペンSで撮り歩いた市電四条通りをネガのコマ順に追ってみると、祇園祭りの山鉾準備などを撮った市内中心部から阪急西院の駅まで歩き、阪急に乗って桂まで行って京都線を撮って、また阪急に乗って四条河原町へ引き返したようだ。
オリンパスぺンSで撮ったネガには様々な京都市電系統が写っていて、四条線に写っていたのは①⑦⑳であった。
四条通りには銀行のビルが多いが古い建物も残っていて市電と並走する当時のクルマの風景が楽しい。ただし電車ばかり撮ってしまいオリンパスペンらしい風景は撮れてなかった。
撮影 1964.07.10
⑪系統(白梅町~京都駅前)烏丸線は四条烏丸で四条線とクロスする
⑦系統(九条車庫~九条車庫) 四条線
⑳系統(銀閣寺道~千本北大路) 四条線
①系統(壬生車庫前~壬生車庫前) 四条線
⑦系統(九条車庫~九条車庫) 四条線
四条線 住友銀行の前の電停
①系統が走る軌道がT字分岐点となると、ここは四条大宮でしょうか?
ここから阪急の西院駅までどう歩いたのか古い路線図を調べねば。
いいですねえ!最近昔の日本映画にはまりまくっていますが、街風景のインサートカットのようです・・・
返信削除電車とともに走る車は時代の小道具としては注目です。
拙作HPで京都市電の位置確認を
返信削除行った時は背景の山並みで
決めました。写真とグーグルとを
照らし合わせます。名古屋でも
銀行は大幅に無くなり参考に
なりません。
一番最後の写真、確かに四条大宮交差点で間違いないと思います。南北に走る市電が大宮通から千本通へと道筋を変えるために斜めに渡る交差点で、既に市電がなくなったからだいぶ後になりますが、嵐電に乗ったときに見覚えのある景色であり、斜めの角の大和銀行は、その後身の「りそな銀行」となって今もあります。
返信削除…それにしても、前回の写真もそうですが、銀行の名前が懐かしいですねぇ。どことどこの銀行が合併して今の何銀行になったのか、いまだによくわからない…。三井と住友が一緒になるとは想像もできませんでした。三和と東海が合併してUFJに、それが更に三菱と一緒になって…。写真に出ている支店も、おそらく合併で統廃合され、店じまいしたものが多そうです。やはり写真に出ている協和銀行というと、「玉電」の角にあった三軒茶屋の支店が格好の目印になっていたのですが、「あさひ」となった後、大和と合併して「りそな」となって大和の支店に統合され、建物は残っているものの、何とカラオケ店に変身していました…。
写真に映り込む車や建物の風景が
返信削除良いですね。
それにしても銀行の統廃合は凄まじかったことをこのような写真を拝見すると実感しますね。
Cedarさん
返信削除当たり前の街風景の写真が興味深く感じるまでは50年くらい掛りました。
この時間経過が街風景の写真を面白く感じさせてくれたようです。
この歳になると、今の街風景を撮っても50年先に楽しむことはあり得ませんね。
常夜燈さん
返信削除路面電車はどれも同じような風景で、
記録してないと撮影場所の確定がやっかいですね。
今回の京都市電ではネガの撮影順と写真に写った系統番号から場所を推定しました。
私も撮影場所の確認でグーグルの地図とストリートビューをよく使います。
建物などで確たる証拠が出てきたときは楽しいものですね。
伊豆之国さん
返信削除情報ありがとうございます。
やはり四条大宮交差点でしたか。これで安心しました。
現在の地図と対比してみると、写真には四条通りがこの先へ一直線に進む道路がないように見えます。
当時、千本線を挟んで大宮東映と大和銀行があった位置の現在をGoogleで確認できました。
この時代にあった銀行名は後の合併で訳わからなくなる前だったのですね。
Chitetsuさん
返信削除私は写真に写った昔の銀行名にはちっとも気づきませんでした。
写真で見る遠い昔の街風景には、その後の激動で浮き彫りになることがいろいろありそうですね。
あの頃に撮れるだけ撮っておけば今になって存分楽しめたでしょう。