tag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post6656213558250203230..comments2024-03-24T21:36:50.201+09:00Comments on 地方私鉄 1960年代の回想: 尾小屋の暑い夏katsuhttp://www.blogger.com/profile/03959477113313491581noreply@blogger.comBlogger8125tag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-47268463466965431632018-07-19T19:57:20.650+09:002018-07-19T19:57:20.650+09:00黒ユリさん
お久しぶりです。
浅野川線では内灘騒動があったことを教えてもらい、ありがとうこざいました...黒ユリさん<br />お久しぶりです。<br />浅野川線では内灘騒動があったことを教えてもらい、ありがとうこざいました。<br />おかげで浅野川線が大いに盛り上がりました。<br />内灘の前は小松市にお住まいでしたか。<br />今はなき尾小屋鉄道は多くの車両が大切に保存され<br />動態保存があり、これほど幸せな地方私鉄もないと思います。<br />地元の尾小屋鉄道に対する熱意がとても強いのでしょう。<br /><br />katsuhttps://www.blogger.com/profile/03959477113313491581noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-6535051703218678112018-07-19T12:34:01.382+09:002018-07-19T12:34:01.382+09:00しばらくぶりに訪問させて頂きました。
幼稚園の時、小松市に住んでたことがあります。
尾小屋鉄道という...しばらくぶりに訪問させて頂きました。<br />幼稚園の時、小松市に住んでたことがあります。<br />尾小屋鉄道という響きだけで、懐かしい感じがします。<br />黒ユリnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-90167875652984442362018-07-12T11:23:16.422+09:002018-07-12T11:23:16.422+09:00esehokuさん
国鉄のSLが消えて「最後の非電化軽便」尾小屋を訪問したのは、
当時中学生くらいだ...esehokuさん<br />国鉄のSLが消えて「最後の非電化軽便」尾小屋を訪問したのは、<br />当時中学生くらいだったファンも結構いたようですね。<br />esehokuさんも貴重な体験をされたと思います。<br />その頃、私は何をやっていたのだろうか。<br />子供が生まれても仕事のことで頭がいっぱい、<br />家庭を放り出して仕事が一番きつい時代でした。<br />鉄道趣味のカケラもありませんでした。<br /><br />katsuhttps://www.blogger.com/profile/03959477113313491581noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-35650709854818415572018-07-11T19:01:15.950+09:002018-07-11T19:01:15.950+09:00私もにぶろくさんと殆ど同年代ですが、奇しくも尾鉄を訪問したのも同時期でした。
中学生でしたから、時間...私もにぶろくさんと殆ど同年代ですが、奇しくも尾鉄を訪問したのも同時期でした。<br />中学生でしたから、時間とお金の限界から『遊園地前』までの乗車でしたが…遊園地どころか何もないのに驚き、どうりで、車掌さんだか乗客の誰だかが怪訝な顔をして「あんな所で降りるんか?」と言っていたのが後になってわかりました。<br />写真を撮って、当時文通していた人(女の子)に送ったら、「日本にもまだこんな所があったのですね!」と返信がありました。<br />苦笑ものの懐かしい思い出です。esehokunoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-38600435507367048672018-07-09T06:26:24.302+09:002018-07-09T06:26:24.302+09:00にぶろくさん
尾小屋はこれで23篇目にもなりました。
尾小屋の記事もそろそろ終わりかなと思っています...にぶろくさん<br />尾小屋はこれで23篇目にもなりました。<br />尾小屋の記事もそろそろ終わりかなと思っています。<br />23篇にもなった尾小屋は最も訪問回数多い路線でした。<br /><br />katsuhttps://www.blogger.com/profile/03959477113313491581noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-7295916450587352302018-07-07T11:00:34.886+09:002018-07-07T11:00:34.886+09:00コメントありがとうございます。
尾小屋の続編も期待してます!
私にも尾小屋の暑い夏がありました。
...コメントありがとうございます。<br />尾小屋の続編も期待してます!<br /><br />私にも尾小屋の暑い夏がありました。<br />この写真の15年後、廃止後のレール撤去のため<br />DC122が動いているという<br />情報を聞きつけ夏休みに訪問しました。<br />太陽がカンカンに照り付ける中<br />数人の作業員を乗せたDC122+無蓋車が<br />金平駅を拠点に黙々と働いていました。<br />撮影の合間に木陰で休みながら<br />春の廃止時の喧騒に比べて随分と静かだなぁ、<br />などと思ったのを覚えています。<br /><br />にぶろくnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-80042276187788811522018-07-06T09:35:11.168+09:002018-07-06T09:35:11.168+09:00にぶろく さん
この写真の14年後とは1976年で、尾小屋鉄道の最後の時代でしたね。
1977年3月...にぶろく さん<br />この写真の14年後とは1976年で、尾小屋鉄道の最後の時代でしたね。<br />1977年3月の廃線まで、ほんとうによく生き延びたものです。<br />非電化ナローは1970年頃までに殆ど消滅してしまいましたが、<br />革新的な1970年代を昔のままで走り続けた尾小屋鉄道に敬意を表します。<br /><br />katsuhttps://www.blogger.com/profile/03959477113313491581noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-72170226430114449792018-07-05T23:34:03.535+09:002018-07-05T23:34:03.535+09:00この写真が撮影された時、私は1歳でしたが
14年後中学生になって尾小屋を訪問した時も
木造客車と塗装...この写真が撮影された時、私は1歳でしたが<br />14年後中学生になって尾小屋を訪問した時も<br />木造客車と塗装以外は変わっていなかったのが<br />今思うと凄いです。<br />生きる化石みたいな鉄道ですねwにぶろくnoreply@blogger.com