案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年11月20日月曜日

行ってみたい外川駅

初夏の日差しがまぶしかった外川駅。 
撮影:1963.6.30

外川駅を後にしたポール電車の客貨混合列車が海辺の小鉄道によく似合っていた。半鋼車デハ301の外板塗装はタッチアップだらけだった。
 


駅を出ると外川の町並みで坂を下ると外川漁港がある。

ある夏の外川駅

昭38年夏に銚子電鉄で活躍していた車両は元鶴見臨港半鋼車デハ301、元京成木造車デハ201、そして凸電デキ3や2軸客車ハフ1、2などでまだポール電車の時代であった。海辺の小鉄道は潮風のせいか電車のツートンカラーがすっかり色褪せて、強烈な夏の陽差しの中をのんびりと海辺まで行き来していた。

当時、廃線の噂が流れていたが海水浴シーズンを迎えどの列車も2軸客車を連結して満員で、外川駅に到着すると駅の名所案内にあった海水浴場へ向かうのか子供たちの歓声が賑やかであった。まだマイカー利用ではなく電車に乗って海辺へ遊びに行く時代の夏の日であった。

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