案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年5月29日金曜日

北陸鉱山のゴンドラ

1970(昭和45)年のSL運転会で観音下~倉谷口で撮った写真の背景に鉱山用ゴンドラが見えた。昭和37年の日本鉱業の尾小屋鉱山閉山で、引継いだ北陸鉱山が細々と採掘を続けていたようで写真の翌年の北陸鉱山閉山までゴンドラは使われていたかも知れない。



鉱山用ゴンドラが見える観音下~倉谷口 1970.11.3

1970年、北陸鉱山の看板が新小松駅の一角にまだあった。奥に北陸鉄道小松線の小松駅が見える。のちにこの一角は一掃され駐車場になってしまった。今は巨大なコマツのダンプトラックが置いてあるところか。 1970.11.3

この頃の新小松駅。1970.11.3


観音下- 倉谷口間に見えた鉱山用ゴンドラ。1964.12.30

SLが走った日の観音下(かながそ)駅。1970.11.3
この頃の観音下駅は1962年8月に撮った観音下駅↓とイメージが違っていた。

観音下駅。1962年8月
中学校は観音下駅を下車し、丘の上にありました。1学級約100名・全学校生300名程の学校でした。観音下駅の後ろの山は採石場となっており、山は直角に削り取られ壮大な景色でした。(先日の尾小屋鉄道乗車の思い出から 昭和30年頃)

SLが走った日、運転会終了後の尾小屋駅。1970.11.3
客車はホハフ7+ホハフ5(尾小屋側)



6 件のコメント:

にぶろく さんのコメント...

先日、NHKBSの火野正平さんが自転車で旅する番組で
観音下の採石場を訪ねていました。
ところで北陸鉱山の索道は、どこで鉱石を降していたのでしょう。
尾小屋の駅ではないですし国鉄までは遠いし謎です。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
テレビで訪ねた観音下の砕石場は見てみたたかったものです。
この周辺には小さい採掘場がいくつもあったようですね。

この頃の尾小屋鉄道は鉱石やインゴット製品などの輸送とは全く縁がなかったようです。
戦後すぐに鉱山からはトラック輸送の時代になり北陸鉱山もトラックで新小松の一角へ運び、
ここでトラックから国鉄貨車に積み替えていたと思われます。

石鉄 さんのコメント...

懐かしい写真ありがとうございます
私たち地元の者は、写真を撮っているようであまり撮っておりません
このような写真を見るのは本当に嬉しいことです。
今後ともよろしくお願いします。

katsu さんのコメント...

石鉄さん
ありがとうございます。
いつも北陸鉄道各線を調べる時は貴サイトを拝見しています。
地元ならではの写真がいろいろありますね。
貴重な浅野川線 粟崎海岸駅の写真などには驚きました。
こちらこそ今後ともよろしくお願い致します。

にぶろく さんのコメント...

尾小屋駅の数枚の写真を読み解くのは面白いですね。
最初の観音下の写真が新小松行だとすると、
尾小屋駅でDC121と連結されていたミキストが
SL5号機(c155)に付け替えられた事になります。
新小松から尾小屋への下りは
5号機+ミキスト+DC121の編成だったのでしょうか?
DC121は単機回送で戻ったのでしょうか。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
このSL運転会の前日夜に尾小屋駅に到着すると駅には既に5号機と2軸客車がスタンバイしていました。
翌朝、駅に戻ると5号機が煙を吐いて出発の準備をしていました。
この日のSL運転は尾小屋~観音下の一往復だけで、尾小屋駅に写っている5号機は運転会終了後です。
そしてDC121はいつものボギー客車を牽いて往復していました。
ということで当日に限っては5号機もDC121も実にシンプルな動きでした。