案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年1月31日日曜日

昭和40年7月北海道 藤田炭鉱2

先日アップした田辺多知夫さんの「昭和40年7月北海道」で藤田炭鉱ボールドウィン8112の画像を数点追加します。上段の1枚はFacebookで紹介したものです。

藤田炭鉱 ボールドウィン8112   昭和40年7月26日

ボールドウィン8112
国鉄小石駅から出ていた藤田炭鉱宗谷鉱業所専用線の積込場でしょうか.


2016年1月28日木曜日

栃尾線 上見附の風景

昭和39年の栃尾線で印象的なことは越後平野/加津保の寒さと奇怪な車両の多さであり、平凡な沿線風景に風情を感じられるものはなかった。この時の車両については過去に紹介済みであり、今回は田辺さんが撮った上見附の風景から当時の駅建物や民家に注目してみました。写真で見る当時の木造民家などは、年々時代が遠のいていくにつれ感じ方が変化していくようだ。田辺さんとはこの栃尾線と翌日からの遠鉄奥山線を共に撮り歩いた。

撮影:田辺多知夫 1964.03.22
上見附駅の駅舎.看板には「タクシー料金は現金で頂戴する」と. 

日通倉庫が何棟か連なり石炭ストーブの煙が立ち込めている.

日通倉庫と貨物ホーム

スイッチバックして栃尾に向かう列車.周辺に見える昭和の木造民家.

上見附駅の周辺の草むらの向こうに木造民家が並ぶ.

上見附駅のホーム待合所.

次々とやって来る列車でハイライトはこの電機牽引の珍編成.上見附

2016年1月27日水曜日

越後交通栃尾線 加津保の寒さ

昭和39年3月下旬、朝から曇り空で冬枯れの越後平野は大変な寒さであった。栃尾線と言えば思い出すのが曇天とあの寒さである。加津保の寒さは格別で駅周辺は一面の田んぼで何にもない、あまりの寒さに早々に引き上げた。次から次とやってくる珍品列車のお蔭で短い時間でいろいろな列車を撮ることができた。

撮影:田辺多知夫 1964.03.22
 心地良いジョイン音を聞きながら小さなホハ18の窓から見えたナローのレール.

 大活躍していた元草軽の古典客車ホハ18が加津保に到着.

まだ電車が古典客車を牽いていた時代の標準的な編成. 

 加津保駅の周辺は一面田んぼ.

背後の山並みにまだ残雪があった.

小坂鉄道からやってきた客車
越後平野加津保の寒風を受けて走る列車に快速まであった.

2016年1月26日火曜日

上武鉄道 日車製Cタンク

借入機関車が多かった上武鉄道(日本ニッケル鉄道)で、唯一在籍した蒸気機関車といわれるのが日車製Cタンク3号機で、西武から借入れの2号機と同形で共に元飯山鉄道の兄弟機であった。
上武鉄道3号機は昭和37年まで現役だったそうで、訪問時は工場の奥でロッドを外されていた。一方、西武2号機は昭和31年に別府鉄道へ転じている。上武の3号機と別府の6号機は共に日本ニッケル鉄道で働いていた時代があった。

 上武鉄道在籍の日車製3号機 1962.12.23

別府鉄道6号機 1962.07.28
元西武2号機で日本ニッケル鉄道で稼働していたことがある.

上武鉄道のハフ3(元ガソリンカー)と同類?のキハ.
昭和7年日車製キハ1(奥)と昭和9年加藤車両製キハ2(初代)


別府鉄道の機関区 1962.07.28

2016年1月22日金曜日

上武鉄道 神流川の渓谷

西武化学の工場を出た列車は、神流川(かんながわ)渓谷沿いの竹藪や林をちょっとだけ走った記憶メモがあり写真と地図で位置を推定してみました。

工場から出てきた7号機が小さな鉄橋を渡る.1962.12.23
右手に神流川(かんながわ)が流れ、線路はかなり川に接近している.
ピッツバーグ製7号機

鉄橋を渡ると神流川の土手沿いの竹藪と木立の中を列車は消えていった.右手に家が数軒あった.



現在の地図に西武化学(現 朝日工業)に入門する直前の軌道を推定してみました。1枚目写真の藪の中の小鉄橋が矢印の位置と思われるのですが、崖っぷちを走っていた記録メモからすると、もう一つの工場直前の川の小鉄橋かも知れません。
現在の地図を見ると、丹荘から西武化学へ向かう軌道跡が小鉄橋(矢印)まで小路として残っているものの、小鉄橋で軌跡が消滅しているようです。小鉄橋(矢印)から工場入口門までの崖っぷちの林の中に何か軌跡があるのではないでしょうか。

参考車両写真
元井川線のDD104と同類の102.川根両国 1966.9.23
国鉄貨車と連結するとesehokuさん曰く「スケール感がおかしくなりそうな機関車」.

連結して初めて分かる井川線規格と国鉄標準サイズの違い.千頭

2016年1月18日月曜日

北関東の小私鉄 上武鉄道

昨日朝のNHK 小さな旅 “埼玉東秩父 和紙の里に水音響いて” に惹かれて地図を確認していると、東秩父村の北方に寄居があり更にここから北17kmほどに八高線の丹荘があった。上武鉄道(旧称日本ニッケル鉄道) はこの丹荘から西武化学前まで6.1km(23分)を走っていた。古典蒸機の宝庫であり本ブログでは蒸機以外に目もくれなかったが改めて53年前の北関東の風景を思い出してみました。


夕暮れを西武化学前へ向かう列車D1001+ハフ3.1962.12.23
桑畑一帯に立ちこめるモヤは並走する県道上里鬼石線の道路から巻き上ったホコリでしょう。

八高線で寄居から4駅目の丹荘駅

周辺には何もない上武鉄道丹荘駅.ここから客貨混合列車が1日5往復していた.

いかにも北関東の雰囲気がする青柳無人駅.

寄島無人駅

寄島~西武化学前

神流川沿いの竹やぶを行く蒸機の混合列車.寄島~西武化学前

向こうのやぶを過ぎ川を渡ると視界が開け西武化学工場があり、その一角に機関庫があった.
工場側からやぶの方を見る.
機関庫前で盛んに煙を挙げていたのはピッツバーク7号機で、7号は西武から借り入れて間もない頃であった。

この日活躍していたハフ3(元篠山鉄道ガソリンカー) 上白クリーム/下淡ピンクのツートンカラー.

ハフ2(元川越鉄道の古典客車改造) 丹荘

2016年1月17日日曜日

北関東で煙を吐いていた古典蒸機

昭和37年、まだ北関東で煙を吐いていた上武鉄道(西武化学)の古典蒸機。53年前のネガを5年ぶりにスキャニンングしたところ、この5年でネガは大きく劣化し上武鉄道のネガのスキャンもこれが最後となってしまった。
西武化学工場内 1962.12.23
 ピッツバーグ7号機

 ナスミスウィルソン製5号機

以下は5年前にスキャンしたもの。
 

鹿島参宮鉄道からやってきた日車製D1001

西武化学前駅のりば