案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年11月14日月曜日

雪の永平寺駅

1968年1月に訪問した京福電鉄永平寺線(永平寺~金津)は一度紹介したことがありますが新規画像を加えて再度アップしてみます。

永平寺駅 1968.01.14
曹洞宗の大本山永平寺に向かう観光路線にツートンカラー(緑とクリーム)の旧型電車がよく似合う感じで、いかにも永平寺線らしい時代があった。生え抜きのデハ101は車庫で休んでいたが、どの車両も楕円窓がある好ましい旧型電車であった。この後すぐに車両も入れ替わりカラーリングも不釣り合いな永平寺線になってしまった。

電車が到着すると乗客の多くは永平寺へ向かう、団体観光客などまだ鉄道輸送があった時代だったのだろう。

永平寺駅からすぐのところに永平寺があった。

広大な雪の永平寺

雪が降りだしてきた頃、永平寺見物の客を乗せて電車は金津へ向かう.金津で乗り換えると芦原温泉へ、そしてその先の東尋坊まで行ける。

車庫に休む デハ101
1962年夏に金津で見たデハ101


4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

永平寺線が東古市から金津まであった時代は知りません。永平寺参詣のあと芦原温泉というのは団体旅行らしいコースです。
先日の旅で山中温泉に行った時、永平寺行からのバスが結構な客を乗せて到着したのを見ました。旅の流れは変わってるんですね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
当時の京福電鉄福井支社は昭和40年代に入っても永平寺線にある本丸岡から西永田まで丸岡線が出ていたなど、路線が結構入り組んでいました。北陸では他線も同じように支線が多く私は京福と北鉄で精いっぱい、福井鉄道などは諦めでした。
あの頃は北陸の各観光地や温泉郷めぐりを地方私鉄が担っていた訳ですね。
それがバスにとって代り、さらに団体旅行も激減し今はどうなっているのだろうと思っていました。
Cedarさんが行かれた山中温泉でバス客が多かったのは、旅のスタイルが変わり新幹線で賑わいを取り戻しているのかもしれませんね。
遠い昔の温泉郷めぐりスタイルが電車と共に消滅してしまい、今の時代はどこも余りにも綺麗過ぎ、作り過ぎ、便利過ぎ、の感が否めません。今の旅は綺麗なデジタルの旅のような気がします。
道中、ネット情報を絶って(スマホ持たない)昔のようなアナログの旅をしたら一体どんな事になるのでしょうか。

ED4012 さんのコメント...

1枚目の永平寺駅に佇む電車のカットに惹かれました。
京福電車はこの時代、全線が健在で緑とクリームの自社発注車全盛期が最も輝いていましたね。この頃の北陸線はまさに一駅ごとに私鉄乗換駅が出現する、といった華やかさがあり憧れの時代です。

先般片山津温泉に泊まる機会があり、金沢の変貌ぶりには驚愕するしかありませんでした。新幹線効果で観光客は急増していますが、駅周辺は別物のように整備され、安っぽい映画のセットにしか見えない美観地区など街自体が生活臭のない無機質なものになってしまった気がします。

katsu さんのコメント...

ED4012さん
貴ブログに影響されて私も珍しくタテ位置の電車顔をやってみました。
ほんとうにあの頃の北陸本線は一駅一駅目が離せない光景でした。

金沢駅の今はやはり昔とは別の世界でしたか。
写真はノイズ(電柱や洗濯物)そのままの写真に美しさがある、は民族学者宮本常一のポリシーでした。
雑然とした生活臭の美しさなのでしょう。
今朝の新聞にヒップホップはカセットテープで聴くと雑味がストリート感になって魅力を取り戻すとありました。デジタルからの回帰、人工的な町の景観も一巡して飽きるとそんな回帰の時代が来るかもしれません。