案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年9月10日土曜日

美しき日本の風情1

Facebookでシリーズ「美しき日本の風情」を始めたのが確かこの長崎の街の写真だったと思われます。どれもブログで公開済みのお気に入りの1枚で、これまでのFacebook投稿はたいした枚数でありませんが一覧で見れるようにしてみます。

1960年代の日本は決して「美しい風景」ではなかった。しかしそこには「日本の風情」があった。今は見違えるような美しい日本になったが、あの頃の「日本の風情」は失われてしまった。少し前の日本にあった「日本の風情」に何を感じるかは人様々であろう。

長崎の街 1967.03.02
グラバー邸の一角から長崎の街と大浦支線を眺める.築町から海岸通りを走り電停「大浦海岸通り」で→ へ曲がる大浦支線が見える.遠くの木立に囲まれた美しい三角屋根は活水女子大学のようだ.

長崎電軌 大浦石橋通り 1967.03.02
日本の至るところこんな街並みは消え、路面電車残れど昔の面影は観光建物(レプリカ)しかないのでは。

長崎電軌 大浦通り弁天橋(現在の大浦天主堂下) 1967.03.02
決して美しい風景ではないが、美しい風情があった時代.

鹿児島市電上町線 薩摩藩士碑の前を行く. 1967.03.01

鹿児島市電上町線 岩崎谷駅.1967.03.01
鹿児島出身の方が見て待合所の看板は堂園産婦人科だそうだ.そこのお嬢さんと同級生だったそうで、1枚の看板から話題が拡がる。

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