案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年9月15日木曜日

美しき日本の風情4


 美しき日本の風情、大江山を望む夏の加悦駅.1962.07.31 

嵐山線とダイハツ・ミゼットMP4型. 1964.07.10

松山市内線の朝.公園前 1969.5.2

昭和40年の瀬田の交差点と電停 玉電瀬田 1965.7.27 

この頃、電停前の米屋(木造二階建)で繰り広げられた物語が私小説「夜間急行」になった。本書はポケモンの生みの親である田尻智さんの父親義雄さんがモデルとなった小説です。ポケモンの田尻智さんはこの写真の1ヶ月後に誕生した。

今回、この瀬田の写真を再掲して今話題のポケモンのことに始めて気付きました。あの私小説に書かれていたのは、福島浪江町の寒村→世田谷瀬田の米屋→世界のポケモンへと繋がる話だったのです。この繋がりには驚きました。数年前、この私小説を読んだときはゲームのことは何も知らずポケモンもよく分からない私でした(泣)

2 件のコメント:

伊豆之国 さんのコメント...

「玉電」瀬田電停の写真、私が覚えているのはこの写真よりもう少し後で、西洋の古城のミニチュアのような塔が屋根の上に載っていたお菓子屋さんと、大七証券が電停の目の前にあり、後ろ側(二子玉川園寄りの下り坂の入り口)に交番と材木屋さんがあるという風景でした。電車がこの急坂を下りて「二子玉川園」に向かって走り抜ける姿は、今も強烈な印象として瞼の裏に焼きついています。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
246号の道路が開通してから次第に激変していった瀬田の交差点、
写真は246開通の直前?の風景だったと思います。