案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年9月12日月曜日

美しき日本の風情2

北陸鉄道石川線 鶴来 1968.01.15
松本清張が小説の舞台として好んだ北陸の気候と北陸鉄道。「ゼロの焦点」に登場した金沢郊外の鶴来は殺人事件の舞台となったが、鶴来の地名がなんとも言えない風情を醸し出している。


美しき日本の風情、日永の夏.三重電気鉄道内部・八王子線 1965.08.05

スタジオジブリの「コクリコ坂から」の舞台となった昭和38年の横浜風景.
横浜市電 本牧トンネル.1963.5.3

真夏の軽便.沼尻鉄道 沼尻 1966.8.9  撮影:田辺多知夫氏

6 件のコメント:

ED4012 さんのコメント...

鉄道と人々の「生活の匂い」が密着していた時代の素晴らしい情景ですね。
駅員や親子連れや、線路際で遊ぶ子供達の声が聞こえてきそうです。
現在同じような作品を企図しても、駅員のいない駅や皆同じ角度で首を垂れている(=端末ばかり見ている)乗客しか写り込まないのではないかと思います。
便利さと引き換えに失ったものの大きさを思い知らされる作品群です。

katsu さんのコメント...

ED4012さん
今の日本の便利・快適さ、街の美しさなどに比べ、すこし前は貧粗ゆえの大切なものがあったわけですね。
どんな事でも贅沢さに満腹になってしまえば、感動は薄れるでしょう。
蔓延している時は分からず、失って初めて分かる良さ、これなんでしょう。

chitetsu さんのコメント...

列車と共に写り込んでいる人の様子が良いですね〜。
鉄道と生活が今よりも近い時代だったのですね。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
地鉄さんのセクションレイアウトにこんな風景が出てきそうですね。
小私鉄の駅や構内ではよく子供たちが遊んでいました。
今だったら怒鳴られますが、あの頃の子供たちは遊び場と安全性が両立していたのでしょう。
そして、父と子が手をつないで歩いている風景などがよく見られました。
確かに鉄道と生活が今よりも近い時代ならではと思います。

esehoku さんのコメント...

岩波映画の「ある機関助士」を観ると、常磐線=幹線なのに、線路端を歩いている人が結構いて、機関士が大変な緊張を強いられているのが伝わってきますが、昔はこれで人身事故が起きたなんて話も聞きませんでしたから、今よりも良い意味での自己責任が成り立っていたのでしょうか。
つい十数年前でしたが、秩父鉄道に乗っていて急停車があり、流れたアナウンスが「線路の上をお婆さんが歩いていたので…」(※本当にこの通りの言葉でした)。
まだこんな生活場面があったんだな〜と、お婆さんがご無事で何よりと思いながらも長閑な気持ちになりました。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
今は安全面から過剰反応するのは仕方のないことでしょう。
沿線住民側の意識も変えねばなりませんね。
昔はこんなギスギス感はなかったように思います。
長閑な時代であったのですね。