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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年8月12日金曜日

「コクリコ坂から」1963年11月、横浜

今夜、また「コクリコ坂から」がテレビ放映されるようです。


以前、アップした「コクリコ坂から」 1963年5月、横浜。 はこのジブリ作品の時代設定である1963年の横浜市電風景を集めたものです。今回は田辺さんが撮った1963年11月の横浜市電風景を集めてみました。

撮影:田辺多知夫氏 1963.11.01
この時代のオート三輪や軽三輪などクルマが楽しい.

青木橋

横浜駅前

桜木町

桜木町

桜木町

楽しい単車が活躍していた時代.



10 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

よこはま市電風景懐かしいですね。
単車や、関西風の大形車など、都電とは違う雰囲気でした。
東京と横浜の街の匂いも、明らかに違っていましたね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
今、テレビに流れたのは下町の肉屋がある商店街で狭い道をボンネットバスが走る。
こんな無性に懐かしい風景はどこにでも見られました。
当時は何も感じなかったけど、横浜市電が走る表通りはずいぶん殺風景だったのですね。
東京オリンピックの前年なのに道路工事中は意外に写っていません。

Cedar さんのコメント...

再度失礼します。このころ市電の麦田車庫裏の親戚の家にいくのに桜木町~麦田間の市電を利用してました。元町のトンネルを抜けたところが麦田で、まさに下町の商店街でした。
横浜市内はオリンピック関連の工事などはほとんど無かったようです。
当時の様子はブログに上げてあります→http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-07-31-2

katsu さんのコメント...

Cedarさんのブログで、以前この麦田町記事をよく拝見したのが、
コクリコ坂のアニメが公開された2011年でした。

丘の上から下った下町商店街とは麦田町あたりになるのでしょうか。
アニメに出てきた商店街は時代のエッセンスをかき集めたような感じで
模型で取り上げられる情景に似ている感じがします。
実際の下町風景はアニメとは少し違っていたのではないでしょうか。
オリンピック前年の道路工事も見かけませんでしたね。

にわとり さんのコメント...

青木橋の家具?を積んだトラックも
いい雰囲気ですねぇ。

katsu さんのコメント...

にわとりさん
この時代独特のトラック風景ですね。
横から風に吹かれて転倒しなかったのでしょうか。
手積みの時代で積み下ろしは一体どうやってやったのでしょうか。
そういえば、我が家の引っ越しでは近所の八百屋のオート三輪が使われました。

lodgershinmeishrine さんのコメント...

最後の写真の,側版が木製の単車が好きでした.
単車ですので、少しスピードを上げると、ピッチングを起こして、
ガックン、ガックン、台車を中心として、前後が上下に揺れながら
走っていました.アニメにはそんな状態は描かれていなかったです.

katsu さんのコメント...

lodgershinmeishrineさん
単車の乗り心地、そうでしたか、面白くて愉快ですね。
アニメはデフォルメされて実物のイメージだけ捉えたのでしょう。
アニメで通学の朝に橋の下を走る単車がトンネルに入る場面が印象的でしたが、
余りにも一瞬で私には捉えるのが困難でした。

さすらい日乗 さんのコメント...

横浜市電が出てるのは、篠田正浩監督の『わが恋の旅路』です。
原作はなんと曽野綾子ですが、結末は小説と映画は違います。
ここには、運河があった横浜市役所の前の港橋、弘明寺付近の捺染工場など、大変に貴重な映像が出てきます。

katsu さんのコメント...

さすらい日乗さん
コクリコ坂の映画を観たのがもう7年も昔のことでした。
横浜は小説や映画、アニメと、さまざまなところに登場しますね。
港町はきっと物語を語りやすいのでしょう。