案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年10月28日水曜日

北陸本線 石動駅

北陸本線の金沢と高岡の間にある石動(いするぎ)駅といえば加越能鉄道加越線。
北陸本線はこの年に金沢まで電化され石動は電化工事が始まる頃で、石動駅の片隅には加越能鉄道のりばがあって砺波平野を庄川町まで19.5Kmを走っていた。東急車両製で湘南型2枚窓のキハ120形2両は加越能鉄道の廃線後関東鉄道に転じ鹿島鉄道で有名な人気者キハ431と432となった。。
一連の北陸を撮影した田辺さんは富山から金沢へ向かう途中、石動駅に降りて加越能鉄道とDF50や特急白鳥を撮っていた。 加越能鉄道はこの9年後1972年9月に廃線となった。

撮影:田辺多知夫 1963.07.12  石動駅

北陸本線石動駅の全景 特急「白鳥」

石動駅の端から出ていた加越能鉄道加越線.発車を待つキハ3 昭和6年日車製

石動駅の加越能鉄道

ハフ31(元キハ1)  サボに表示された「石動⇔庄川町」


まるで模型のような外観の機関車DL112 昭和32年東急車両製
中々アカ抜けしたスマートな機関車です.

加越能の珍車キハ15001. 構内には北陸本線電化工事の電柱が並ぶ.
昭和28年輸送機工業製で、将来の電化に備え過ぎて失敗した車両.外観は電車形で台車はFS13を履いている(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり4より)
FS13台車を履いた電車になりそこねた珍車

「いするぎ」の駅名

石動駅信号機切替レバーで、1本しかないのは国鉄用ではなく加越能鉄道用ではないかとのこと。ネコパブ「国鉄時代」に連載中「鉄道施設探検」の榊原氏談


石動駅のDF50 (再掲載)

キハ82系特急「白鳥」

これから電化工事が始まる北陸本線を倶利伽羅峠へ向かう汽車の車窓で、沿線の民家や電柱を運ぶ日通トラックが見える.

参考: 鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第4分冊 1963年

2015年10月23日金曜日

昭和38年 富山駅前

昭和30年代後半の日本の変貌期は私にとって最も昭和らしさを感じる風景であった。さらに時代を遡ればいくらでも凄い世界があるが私はカメラ普及以前の「手の届かない世界」はとっくに諦めている。昭和の風景とはどの年代をさすかは、見る人の年齢によって様々異なるのでしょう。

昭和38年の富山駅前のこんな風景も私にとって昭和の風景を感じさせてくれる。この頃の路面電車がある街風景は、どこの街でも人々が溢れ背景には薄汚い街並みや看板が写っているのが特徴であった。まだクルマ社会到来前で路面電車や駅前通りは活気が溢れていた。

撮影:田辺多知夫 1963.07.12 富山駅

 笹津行き電車と朝の通勤通学客で賑わう「富山駅前」

駅前旅館「月見旅館」が見える「富山駅前」
市内線単車と笹津線の高床電車が並らぶ駅前.薄汚いこんな街並みは日本のどこにでもあった。

現在の富山駅前をストリートビューでここかる見ると興味深いです。

朝の通勤の人々

富山港線

 富山地方鉄道

蒸機がいくらでもいた富山駅

2015年10月21日水曜日

昭和39年 何だこれは! の金沢5

田辺さんが翌年10月に訪問した北陸鉄道石川線は、あれから1年経ったためかあの「何だこれは!」の驚きの度合いは弱まった感じです。ダブルルーフのモハ3151や田舎電車モハ1501などがまだ活躍していた石川線の新西金沢~鶴来を訪問したようで、まともな電車あり雑多な電車もありの時代であったようです。

そして、この3ヶ月後の12月末に私は能登線、石川線を除く北陸鉄道各路線を一気に駆け巡りました。その後、市内線、金石線、加南線各線が廃線になり、しばらく経って能登線、能美線、小松線が廃線となった。

撮影:田辺多知夫 1964.10.05 

石川線生え抜きのモハ1501  鶴来 

単行の準急白山下行モハ1501  鶴来

モハ3152   鶴来

モハ3004

白菊町行モハ3004   新西金沢
3000形1~5の殆どが金石線に移籍していて、最後は小松線に集結した。

急行白菊町行クハ1001+モハ3201(元加南線)   新西金沢

新西金沢の車庫

小松線モハ551→石川線EB111   新西金沢
山中線の前身である山中電軌が山中 - 大聖寺間の電化に合わせて1912年に新製したデハ2を出自とし、1929年に車体を新製、一斉改番を経て1951年に小松線へ転入したが、1956年には石川線に転出して事業用車となった。(wikipedia)

廃止3年前の金沢市内線と金沢の街

2015年10月17日土曜日

昭和39年 何だこれは! の金沢4

翌年の昭和39年10月に田辺さんは再度北陸鉄道を訪問し小松線、石川線、市内線を撮っていました。この頃の小松線は北陸鉄道各線から玉突きで追い出されてきた古典物や小さな車両の寄せ集め場で、写っていた漫画に出てきそうな小型電車に目が惹き付けられました。

1971年に金石線からモハ3000形5両が入線したのを境に、それ以降は廃線まで何の変哲もない路線になってしまった小松線ですが、1971年まではこの小型電車が在籍し、さらに1965年までは種々雑多なトレーラや2軸電車が在籍し、北陸鉄道各線の生き残りが集められた貴重な路線であったのでした。
1962(昭和37)年に私が訪問した時の 北陸鉄道 小松線1(大画像にリニューアル)に奇怪な車両たちを紹介してあります。

撮影:田辺多知夫 1964.10.05  撮影場所全て小松 
ちっさな日鉄自動車製の兄弟モハ1002+モハ1001   1971年廃車
北鉄松金線→小松線 近江鉄道と同形


笑える可愛い電車モハ1001
オデコを何にぶつけたのか凹んでいる。

モハ1201  1971年廃車
能美電気鉄道(能美線)木南製デホ→金石線→小松線

サハ701+モハ502  1965年廃車
左 サハ701金石電気鉄道(金石線)デハ→サハ→小松線.前年に大野港駅の奥にいた単車.  
右 モハ502、501白水電気鉄道(小松線)デハで開業時からの電車.

モハ1814
加南線→金石線→小松線


昭和39年から数年後の昭和42年の小松線. 1967.09.29  撮影:katsu
雑多なトレーラは1965年までに整理され小型電車の時代が1971年まで続いた。

 1001のオデコの傷は治っていてツートンカラーになった.1967.09.29
昭和42年のこの明暗あるツートンは北鉄カラーでしょう。

モハ1201と1002

小型車3両が健在で、まだよき時代が続いていた小松駅

2015年10月14日水曜日

昭和38年 何だこれは! の金沢3

撮影:1963.07.12  田辺多知夫

急行「ゆのくに」交直流電車471系 金沢 1963.07.12
この写真の数ヶ月前1963年4月20日に福井から金沢まで交流電化され、金沢駅は赤い新型電車の急行「ゆのくに」や「加賀」などで賑わっていました。北陸本線も交流電化で様々な入れ替えがあった時代だったのでしょう。こんな華やかな金沢駅とは対照的な「何だこれは!」の世界が金沢の片隅に存在していて北陸鉄道石川線、金石線を紹介してきましたが次は浅野川線です。

急行「加賀」

モハ572 北鉄金沢
この古ぼけた単車は貨物用に使われ北鉄金沢駅から延びる国鉄連絡線で使われていたようだ。華やかな国鉄交直流電車とはあまりにも対照的な凄い風景。

貨物は電車が牽いていた

サハ211+サハ221
翌年に見たときは内灘の先に延びる線路に放置され荒れていた。内灘の先へ海岸まで延びていた線路を電車に牽かれて海水浴客を運んでいた素晴らしい光景(想像)が目に浮かぶ。

クハ1602 この頃の浅野川線は他線に比べるとマトモな電車でインパクトは少なかった.

狭苦しい北鉄金沢駅

金沢の旅館から眺めた市内線

金沢駅前で線路は左へカーブし、その先に単車が見える??

翌年に駅前の市内線軌道配置に変化があったのか?  金沢駅前 1963.07.12


金沢駅前 1964.10.05 工事中?

金沢駅前 1964.12.31
1年半後の駅前の市内線軌道配置はシンプルになっていた.