案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年2月16日月曜日

ブログ休載のお知らせ

伊勢志摩から淡路島の洲本まで思いつくままを並べて来ましたが、垂直カルダンドライブのコンポーネントが開発された伊勢志摩の土地、そしてその実車テストが行われた洲本の土地と、なんとなく垂直カルダンドライブで繋がりました。

更に越後の栃尾線へと繋げたいものですが、明日から暫くブログを休載させていただきます。
ブログ再開時は栃尾線の垂直カルダンでスタートできたらと思います。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。
katsu


2015年2月13日金曜日

淡路交通 昭和40年の洲本3

❼大衆旅館
バスが洲本駅に到着すると直ぐに宿さがしで駅前をぶらついた。どうやら駅前にある旅館は観光客向けではなくどれも素泊まりだと600円の割烹旅館であった。割烹旅館はちょっと小奇麗で我々向けではないので、さらに探すと大衆旅館というのが目にとまった。おそらく洲本では最低の部類と思われる佇まいで旅館の感じは全くなく周りの民家と同じようであった。交渉すると二食付き650円(素泊まり350円)である。宿はここに決めて荷物を預けたが、おかみさんの大声が何を言っているのかどうも方言でよくわからない。

一日、真夏の沿線撮影をして夕方宿に戻ると2階の一室に通された。ひどい部屋で置物もなければ掃除もろくにしていないようなただ寝るだけの物置のような部屋。二部屋あって一部屋に電球がないのには驚いた。もう一部屋だけに薄暗い裸電球が燈っていた。

夕食付であったが、なんと近所の食堂からの取り寄せであった。こんな宿は初めてでどうやらフロもないらしい。外から配達された夕食は山盛りのチャーハンであったが空腹にもかかわらずノドを通らなかった。
夕食後、宿の前にある銭湯に入ったがこれがまた独特の雰囲気。せせこましい銭湯で電気も薄暗く浴場が汚らしく見える。それでもきたない旅館の浴場よりはマシだったかもしれない。銭湯に来る地元の客はみな真っ黒に日焼けし、わが身がばかに白くて弱々しく見えたものだった。
当時の淡路の観光客は大抵「ホテル淡交」1500~3500円のような観光ホテルに泊ったことでしょう。鉄ちゃんが泊まる宿として観光ホテルは対象外で、この時の大衆旅館は汚さも度が過ぎたがむしろ洲本の懐かしい思い出となった。



島の電車の洲本駅近くの旅館に一泊した時の写真がなく、ストリートビューで今の洲本を巡ってみました。道路が広くなり町並みがすっかり綺麗になり、昔のあのすごい光景は全て建替えかと思ったところ、意外や昔をしのぶ建物も僅かに残っているようです。すごい宿や銭湯があったところには今マンションが建っているようです。

Googleストリートビュー 今の洲本

2015年2月10日火曜日

淡路交通 昭和40年の洲本2


地図にある番号順に更に進んでみます。

8月2日の盆踊りの音が流れる淡路島まつりの夜は洲本駅近くの大衆旅館に泊まり、クマゼミが鳴く騒々しい3日早朝を迎えた。昨日同様に陽はガンガン照りで余りの暑さにランニング一枚になって洲本の宿を出発した。こういう場合、Tシャツ1枚になってが当たり前だがTシャツが出始めたのは1970年代からで、この頃はまだ出回って無かった。よそ者がランニング一枚で外を歩くなどは恥ずかしいことであったが、こんな姿で昨日目をつけておいた撮影ポイントへと向った。

➑洲本を発車し紡績工場の脇をカーブする. 1965.08.03

❾洲本川の橋の手前にある寺町に洲本行が到着、通勤客だろうか.

朝の順光側で遠く先山を望む洲本川鉄橋

❾洲本川をノソノソ渡ると宇山へ着く.変電所の建屋が見える.
朝日を浴びて洲本川の橋を渡る高校生を大勢見かけたが、夏休みで朝の部活だろうか.

➐が前夜の大衆旅館の位置で、これぞ貴重な洲本の体験で観光バスや観光ホテルの利用では絶対に分からない。

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2015年2月4日水曜日

淡路交通 バスで島めぐり

= 島めぐりバスのコース

1966(昭和41)年まで淡路交通の電車が走っていた淡路島は何とも言えない風情溢れる土地であった。鉄道の沿線は玉ねぎ畑、ため池、埃だらけの道路ばかりで、淡路ならではの淡路人形、西海岸の五色浜、鳴門のうず潮見たさに同行の友人と別れ、淡路交通の島めぐりバスに乗って珍しく観光をしたことがあった。
この頃の島の道路は至るところ穴だらけで、西海岸の道路などは更にひどくバスの乗客はシートから放り出されるくらい飛び跳ねた。
淡路島出身の阿久悠さんの著書「瀬戸内海少年野球団」の舞台設定は淡路島江坂町(仮定)で西海岸の五色浜を含むこの地域であったようだ。
鉄道沿線は両端の洲本と福良以外は見るべき名所もなかったが、島の電車の淡路風情は観光名所でも何でもない島の日常生活に溢れているのに気付いたのはつい最近のことであった。

五色浜の海岸 1965年8月
天然記念物五色浜の海辺は目もあざやかな五彩の玉石に埋められ、真に自然界の驚異である。ここは慶野松原とともに周遊指定地である(淡路交通のパンフレットより)

電車の終点福良からうず潮見物へ向かう

鳴門のうず潮
福良に近い「市」にあった淡路人形座

埃まみれの沿線を行く島の電車
洲本港から福良港へ観光客を運ぶ島の電車