案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年7月1日日曜日

淡路交通 垂直カルダンドライブ車

洲本の大衆旅館に泊まった日は洲本から二駅先の宇山にある車庫で奇抜な電車をいろいろ見学し、中でも興味深かったのがモハ2008の垂直カルダンドライブ車であった。垂直カルダンドライブは運輸省の補助金付で神鋼電機で開発され、淡路交通宇山工場の協力で試験的に装着されたようである。

神鋼電機製の垂直カルダンドライブは他に越後交通の栃尾線(ナロー)、三重交通の志摩線、湯の山線(ナロー)で採用されたがこの方式が広まることはなかった。奇抜な構造で整備などで相当厄介ものであったのだろう。

あの鳥羽の海沿いあった神鋼電機鳥羽工場で開発された垂直カルダンドライブ。
この駆動ユニットを装着した淡路交通モハ2008試作車。

鳥羽から海を渡り淡路島で何でこんな奇抜な装置が元ガソリンカーに組み込まれたのかは、神鋼電機が開発した垂直カルダンドライブを実車テストするのに淡路交通が手ごろだったのか。宇山工場が協力して有り合わせのDT10の台車に垂直カルダンを組み込んだ試作車モハ2008は一体いつ頃まで実車テストをしてきたのか? 淡路交通1966年の廃線まで存在したモハ2008は試作品を装着したまま営業運転してきたのか。いやテスト後は外され吊り掛け式になっていたのか、いろんな疑問が湧いてくる。

モハ2008.1950年に電車化されその後垂直カルダン装着.1965年8月 宇山車庫
実車テストが行われたのはこの写真の10年も昔1955年頃か?

DT10に組み込まれた垂直カルダンドライブ
なぜかイコライザー~台車間の動きが殺されている

 淡路の帰りに寄った近鉄北勢線モ200形垂直カルダン車 西桑名 1965.08.05 
元三重交通湯の山線4400形

淡路の前年に見た三重電気鉄道モ5400形垂直カルダン車 1964年夏


 越後交通栃尾線モハ214垂直カルダン車 1964年3月

栃尾線モハ215垂直カルダン車 1975年3月
モハ205が栃尾規格型モハ212などと組んだ「モハ205+モハ212+モハ215」の3両編成で、215と組んだパンタ付がモハ212垂直カルダン車。同系でも高さがかなり異なる。 栃尾線 廃線迫る

栃尾線モハ212~217は昭和32~41年にかけて東洋工機で新造され、212~215の4両に神鋼電機製垂直カルダンドライブが搭載されたが、廃線まで居たのはモハ212と215のみであった。

2015年2月14日アップから移動.

6 件のコメント:

宵闇 さんのコメント...

こんにちは。

垂直カルダンモーターが今の時代に生き残っていたら、もっとモーターの軽量化やメンテナンスフリーモーター等も開発されて、VVVFカルダン駆動のナローゲージ車両も出来たのではないかとつくづく思います。

それが現実だったら北勢線や内部八王子線ももっと近代化が進んでいたかも知れませんね。

なと。 さんのコメント...

垂直カルダン。
どんな走行音だったのかとても気になります。
ところで栃尾線モハ215の写真を見るとパンタが付いてないですね。
撮影日からすると廃止間際ですが、晩年は電装解除されていたのでしょうか?

katsu さんのコメント...

宵闇さん
もし軽便がもっと近代化を図れる繁栄の環境でであったなら、
路面電車同様に軽便独特の進化したコンポーネントが様々開発されたと思います。
内部八王子線~北勢線では垂直カルダンでずいぶん苦労したでしょうね。

katsu さんのコメント...

なとさん
いや~気が付きませんでした!
ご指摘ありがとうございます。
215にパンタが無いなんて思ってもみませんでした。

この新造車シリーズで廃線まで残った垂直カルダンはモハ212と215のみのようですが、
電装解除の可能性がありますね。
廃線間際に大活躍していたこのタイプは吊り掛け式の216、217だったかも知れません。
この時代の総括制御編成を全て洗い出してみようと思います。

Cedar さんのコメント...

淡路交通は間に合わなかった電車のひとつでした。高校の修学旅行で淡路島を通りましたが、バスの車内から廃線跡を目を凝らして見てました。
あとは日活映画の『くたばれ愚連隊』に登場していたのを観ましたが、電車は廃止後水間鉄道に行った1000形でした。

katsu さんのコメント...

cedarさん
淡路交通は小型電車ファンには堪らない地方私鉄であったと思います。

昔の0番模型なら格好の題材であったクロスシートの小さなモハ1005は、乗ってみたかったものです。
個性豊かな電車達の最後は水間行き1000形を除き叩き潰されて全滅したようです。