案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年9月23日日曜日

沼尻鉄道 沼尻の手前

前回、沼尻駅について「沼尻鉄道 沼尻」で少し紹介しましたが、終点沼尻駅の周辺にはいろいろと話題があり更に続けてみます。

 沼尻のデルタ線  1964.01.02

 川桁行き列車が発車を待つ沼尻駅  1964.01.02

木地小屋から急勾配を上りつめたところに沼尻駅があり、「沼尻の手前」には清流に沿って木立の間を走る素晴らしい区間があった.2003年に40年ぶりに廃線跡を訪れてみるとこの区間は緑のトンネルになっていて、40年の歳月により線路沿いの木立が大きく育ち風景が一変してしまったのだろう。

沼尻駅から木地小屋方面へ向かう風景を順に並べてみました。
木地小屋を出てまもなく沼尻駅に到着する地点で、清流とガソリンスタンドがあった.クリック拡大
右へ溜池に向かう小さな水路に小鉄橋が架かっていた.
手前に大きい踏切があり列車は更に清流に沿って進み小鉄橋を渡ると沼尻駅に到着する.

木立の中の直線区間. 沼尻 木地小屋へ向かう列車

直線区間の先を右に大きくカーブする地点.沼尻を発車した列車が木地小屋へ向かう.
裏磐梯の山並みが美しい.

4 件のコメント:

ゆうちゃん さんのコメント...

沼尻鉄道思い出の鉄道です。
中学1年の夏休み初めて撮った鉄道写真撮影の旅でした。経営困難となり磐梯急行電鉄となっているときでした。

katsu さんのコメント...

ゆうちゃんさん、初めての鉄道写真の旅が沼尻鉄道とは渋いですね。初めて沼尻を見た時は驚きました。草軽、九十九里が無き後、ナローでは沼尻と頚城が究極の軽便だったと思います。それが余りにもちぐはぐな鉄道名となった沼尻の最期が悲しいですね。

ひもブレーキ さんのコメント...

ゆうちゃんの兄です。一緒に沼尻鉄道へ行きました。沼尻鉄道は一往復しただけでしたが、当時中学3年生の悲しさ駅舎などに目を向けていませんでした。

katsu さんのコメント...

ひもブレーキさん、
兄弟で鉄道撮影に沼尻鉄道を訪問されたとはほんとうに羨ましいですね。
中学3年生の時の沼尻の印象はさぞ強かった事と思います。
私は高校1年の時にNTVの番組で得体の知れない鉄道を見てしまい、それが沼尻であるのを後になって知りました。
テレビで見た時の衝撃があまりに強烈で一晩でガソの車体模型を作ってしまったほどです。
夢でも見た軽便沼尻の本物を見たのはそれから数年後でした。
やはり10代で受けた衝撃は強烈で一生抜けないものです。