案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年3月19日月曜日

銚子電鉄 夏の日1

昨年紹介しました1963年夏の銚子電鉄をさらに続けてみます。

海辺の小私鉄 銚子電鉄のイメージはやはり夏の風景が印象深い。
夏のある日、照りつける太陽と潮風を浴びながら海辺の風景の中を往復する電車を必死に追いまわした。沿線にあった水産加工場の臭いの洗礼が忘れられない。

 
外川駅に2軸客車を牽いた木造電車が到着すると、客車が切り離されて電車は機回り線へ.
夏の陽差しがサンサンと照りつける.  外川駅  1963.6.30 


駅長さんのシャツが眩しい、夏の「とがわ」駅    画像クリックで拡大

 
駅の名所案内にある海水浴場へ行くのも、まだマイカーではなく電車の時代であった.

 
客車を牽いたデハ201の台車が興味深い
 
京成電鉄で使われた雨宮製H2型板枠台車と思われる.


次の列車はデハ301の混合列車で、客貨車を付け替えると銚子へ引き返して行く.


4 件のコメント:

常夜燈 さんのコメント...

私が訪れた時はビューゲルになっていました。
ワフが付いているのが堪らない。小荷物扱いが
有ったということは駅員さんも主要駅にはいた
という事で活気があった筈。国鉄のDCが乗り入れていたのですが想像出来なかった。

katsu さんのコメント...

常夜燈さんが行かれた時はビューゲルでしたか。私達が行った時はギリギリでポールに間に合ったのかも知れません。
主要駅には駅員さんが居ました。お客も多くて活気ありましたが車両がかなり老朽化していました。1963年頃は確か廃線の噂があって訪問したような気がします。多難な時代を懸命に乗り越えてよくぞ存続した鉄道と思います。

H.Kuma さんのコメント...

小学生(高学年)の頃ボーイスカウトに入っていまして、ある夏に銚子でキャンプをしました。
松林にテントを張って名所案内板にある長崎海水浴場で泳いだ記憶があるので、どこか外川近辺だったと思います。
この時乗った銚子電鉄の電車は京成の青電色だったような… 集電装置はビューゲルだったような… おぼろげなので曖昧ですが。
外川の駅は今でこそ味わい深いと感じますが、当時の小学生には「ボロだなぁ」というのが素直な感想でした。
1968~9年頃の夏の思い出です。

katsu さんのコメント...

Kumaさん、貴重な体験でしたね。
子供の頃に小さな電車に乗って外川の先にある海へ行ったことは忘れられない思い出になったことでしょう。
私もこの頃の電車の色は青ぽかったような気がします。何となく夏休みの思い出をジオラマにしたシーンが目に浮かぶようです。